SKY NOTE

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ハーバード白熱教室 BSHiで8月11日から集中再放送

ハーバード白熱教室が再放送される。残念ながらBS Hivisionなので、一部の人しか再放送が見れないが、見逃した回がある人も多いと思うので、紹介する。
 
ハーバード白熱教室』再放送決定!
http://aczog.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-e4f2.html
 
上記のページに日本人は論理的思考力が欠如していると書かれているが全くその通りだと思う。日本人の場合、みんなが知っている事を共通認識として定義し、それを運用する事に何のためらいもない人が多いが、それに対して、なぜ、どうして、疑問をぶつけて、自分なりの答えを見いだせる人と言うのは多くはない。故に聞いた事を覚えているだけで、自分なりに解釈する事はできていない。だから、理由を聞かれたり、説明を求められると、口ごもってしまう。そして、場合によっては、そういう質問をした人間を睨みつけ、個人攻撃に走る。要するに論理的質問をすると、ケンカを売っていると解釈されるのだ。そして、和を以て尊しとする日本の文化では、ケンカをする事は良くないから、論理的な人間は「良くない事をする悪い人間」として排除される事が多い。それに対して、このハーバード白熱教室の学生達は、サンデル先生に突っ込まれた時、それに対して理由や根拠を示せるところは素晴らしい。
 
「ハーバード白熱教室」集中放送決定!
BShi 午前0時15分から3時13分
・8月11日(水)(10日深夜) 第1、2、3回
・8月12日(木)(11日深夜) 第4、5、6回
・8月13日(金)(12日深夜) 第7、8、9回
・8月14日(土)(13日深夜) 第10、11、12回

BShi 午前10時から11時58分
・8月16日(月) 第1、2回
・8月17日(火) 第3、4回
・8月18日(水) 第5、6回
・8月19日(木) 第7、8回
・8月20日(金) 第9、10回
・8月21日(土) 第11、12回
 
日本の政治が良くないのも、この論理的思考力の欠如が、結果としては政治家の質を下げている部分もなくはない。論理的に思考すれば、自民党に票を入れると言うのはあり得ない。なぜなら、過去において何度も国民を裏切り、尚且つ、失敗し、その失敗理由や問題点を明らかにせず、曖昧なままにし、ただ、利権の為に突き進む政党を評価するなど、あり得ない事だ。自民党が政権にいた頃の政治は、物事の根拠を曖昧にし、適当にやり過ごすような事を政治家は常にしていた。それは国民に論理的思考力がないので、その「いいかげんさ」に厳しい追求がされないからである。その「論理性の甘さ」を官僚達が食い物にしている。何度だましても、厳しい追求をしないという国民性にあぐらわかいているのだ。
 
政権交代も継続するのが大変なのは、民主党がダメな事もあるが、民放放送局の矛盾のある主張を論理的に見破るくらいの眼力がなく、鵜呑みにし、それを信じてしまう人間が多い事で、民放テレビににらまれるような政策を打ち出した政治家は、彼らの強烈なイチャモン報道によって失脚させられるのである。現にこの国は何度も総理大臣が変わっている。でも、もし、国民に論理的な思考力があれば、民放放送力のイチャモンレベルの報道は、論理的に見れば、否定の対象になって相手にされないし、切り捨てられる。なぜなら、根拠が曖昧な主張で人をおとしめ、しかも、普天間の問題については、代案も提示せずに反論の為の反論を繰り返している民放放送局の姿は、正に論理的思考力のない人間が生み出す矛盾そのものである。
 
1.普天間飛行場を移転させなければいけない
2.理由は危険だから
3.移転先を決めようとすると住民運動が起きて移転できない
4.その反対運動の先陣を切っていたのは民放局だが、代案はなし
 
人の意見に反論するのは、その根拠や代案を提示すると言う姿勢が最低限求められる。なぜなら、そうしないと、反対の為の反対の応酬となり、議論が空転し、話が一向にまとまらない無限ループに陥るからだ。反対する、でも代案はなし。それでは論理的な主張として成り立たない。そういういい加減な主張に無批判な為、ヤクザのようなイチャモンレベルの報道が成り立つのである。そして、何かを勘違いしているのが民放放送局。中にはまともな人もいるが、酷い奴はかなり酷い。そういう論理的矛盾が追求されない事が、結果として、彼らに余計な権力を与えてしまっている。もし、日本人に論理的思考力があれば、今の民放局の主張など一笑にふされるであろう。あまりにもバカバカしい幼稚な主張だから。反論をするけど、代案はなし、根拠の曖昧な主張で人をおとしめる。そういう事を恥ずかしげもなく大規模にやっている民放テレビ局は、論理的に見たらクズである。でも、そのクズレベルの連中を信じてしまう人が多いばかりに政権がコロコロ変わってしまい日本は前に進めなくなっていると言っても過言ではない。そういう意味でサンデル先生の優れた講義を見るだけでなく、サンデル先生に突っ込まれてもきちんと自分の意見の理由や根拠を主張できる学生達にも注目して欲しい。ハーバード大学のエリート学生だから、そういう事ができるのだと考えないで欲しい、なぜなら、アメリカでは小学生でもそういう喋り方のできる子供が一杯いるのだから。やはり、アメリカのように価値観が違う人間が多い場合、自分の意見と他人の意見が大きく違う。故に自分の意見の根拠や理由をきちんと明示しなければ認めてもらえないし、主張も通らない。だから、なあなあまぁまぁ、以心伝心は通用しない。
 
価値観が同じである事は便利で楽だが、だからといって、論理性や根拠を示さなくてもいいと言うのは、間違い。それがある事でコミュニケーションが建設的になる。日本では、そういう主張を仕様とすると、即、人格攻撃の対象となってしまう。人の和を乱す悪者として排斥される。このような程度の低い事をしていたらダメだ。この閉塞状態からは抜け出せない。なぜならば、抜け出す為の建設的な議論すらも個人攻撃で潰してしまうのだから。こんなんじゃダメだ。龍馬達が民衆が国の制度を変えると言う民主主義の素晴らしさにビックリして、それを国の制度に採用したらどんなに素晴らしい国になるかと信じて命懸けで日本を改革したが、当の日本人は、その民主主義を生かす為の教育からしてされていない。自分の意見を述べる時には根拠や理由が必要な事、反論には、代案も同時に必要な事。そして、代案の提示できない反論は無責任である事。それがあってこそ、問題が解決できるのだ。日本はどうだ。日本の議論の場合、この最低限の議論のルールを守れない輩(報道機関も含む)が多くて、あらゆる問題の議論が空転し、迷走し、破綻し、忘れられると言うサイクルによって、結局何も解決しませんでしたと言う事になる。それが自分の意見に根拠を持ち、サンデル先生の反論に対する代案を提示できるあの学生達の主張にこそ、アメリカと日本の教育の差を思い知らされる。アメリカには問題も多いが、同時に問題解決能力もある。なぜなら、論理性がある事で議論が建設的になり解決できるからだ。日本にも問題はあるが、それをこの20年間全然解決できていない。なぜなら、20年前に最低限の礼儀を野放図な自由に切り替えたところで、日本は変わってしまった。議論できる人間を野放図な自由という無責任が駆逐してしまった。そこから、日本の低迷が始まった。日本には、問題を解決する技術や能力はあっても、それを運用する論理性や、その論理性を礎とするインテリジェンスが絶対的に足りないのだ。
 
そういう意味では、論理性とは「思考の礼儀」かもしれない。この礼儀を弁えず、野放図な自由と言う無責任に置き換えた事で、日本は問題が全然解決できない国になった。自由には責任がセットになっている。自由と責任を結びつけるのは論理性である。(権利は欲しい、でも責任はいらないという論理的矛盾を許さない姿勢が結果として責任感となる)その論理性が欠如した今の日本は、果てしなく無責任な主張がまかり通っている。その結果、問題が解決できず、停滞している。今の日本人に必要なのは、論理性と言う「思考の礼儀」を弁えることである。この礼儀知らずが多くて、何も解決できないのだ。解決したければ最低限の礼儀を守るべきなのだ。自分の意見に明確な根拠や理由を示す事ができるハーバード大学の学生達を見ていて、そう思った。
 
・反論には代案を
・主張には根拠を
 
この二つの礼儀を弁える事で議論が建設的になる。そういう意味では、論理性は「思考の品格」と言えるのかもしれない。