SKY NOTE

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対案なき批判の末、首相が辞めるこの国

1.大の大人が対案もなく文句を言うのは恥ずかしい

  • 普天間の問題において、鳩山首相に対し、協力的だったのは、大阪の橋下知事くらいのものだった。他の人は、何の対案もなくタダ文句を言っていただけだ。マスコミも地方自治体の長も、よってたかって彼を攻め立て、非常識だのなんだのと述べたが、私に言わせれば、対案もなく文句を言っているだけの人間の方が恥ずかしい。それに比べれば、対案を出すべく努力した鳩山氏の方がなんぼかマシなのだ。

 
2.無責任な批判ばかりしていると話が硬直化して何も解決しない

  • 私は小学生の頃、オヤジとNHKのニュースを見ていて今の普天間のような解決が難しい問題で、その問題を解決できないリーダーを責めた。しかし、それを見た義父はこう述べた「じゃぁおまえはどうするんでぃ」と聞かれて「・・・・」沈黙するしかなかった自分を恥じた。義父は続けてこう述べた「自分が解決できもしないのに、他人を責められるほど、お前はそんなに偉いのか?」私は恥ずかしくて何も言えなかった。それ以来、私は、反論する時には対案を用意して主張する事にしている。それがフェアな対話と言うものだ。だから、そういう私に言わせれば、鳩山氏に文句を言うのならば、キチンとした対案を用意して、それから文句を言うべきだ。私に言わせれば今回の普天間の問題で99.9%の人が鳩山氏を責める資格はない。なぜなら、現実的な対案がないからだ。無責任な批判を言いっぱなしにして、最後には収集がつかないから、トップをつるし上げて辞めさせる。こんな大人げない事をしている事自体が恥ずかしい。こんな主張が許されるのならば、何事も収集がつかず解決しなくなってしまうだろう。事実、日本はそうなっている。よくテレビのコメンテーターが偉そうに鳩山氏にきちんとした対案もないのに意見を言うべきではないと言っていたけど、そういうコメンテーターそのものが、この問題についてきちんとした対案を提示していないという論理的矛盾に気づいた人がどれだけいただろうか?

 
3.何の努力も協力もしないものに偉そうな事が言えるのか?

  • 自民党案に戻ってしまったと言うが、そうならないように鳩山氏になりに模索し、検討した。しかし、誰もが嫌だと言うばかりで協力をしなかった。誰も協力しないのならば、結果は出ないのは当たり前だ。首相に全責任をなすりつけて、つるし上げをし、ほぼリンチに等しい卑しい行為を行った。こんなことばかりをしているから日本はダメなんだ。日本人はいつから、こういう無責任な主張をして恥ずかしいと思わなくなったのか?

 
4.文句を言うだけ言って対案を出さない民放テレビ局の無責任さ

  • そして、テレビ局は、最後の最後まで批判だけをして、キチンとした対案を提示しなかった。あれだけ文句を言うのならば、当然、対案を分析して提示するべきなのに、それをやらなくて、批判されないのは、全くもっておかしいと、この国にはフェアプレイと言う概念がないのかと思ってしまう。文句を言うだけでなく、具体的な分析レポートくらい提示するべきだと思ったが、それも充分とは言えなかった。結果として、誰もが問題を解決する術を見いだせず、収集がつかなくなった事態の責任を全部トップの鳩山首相になすりつけて、今回の話は幕引きになりそうだ。

 

本来、マスメディア集中排除原則の観点から、新聞業と放送業などメディア同士は距離を持つべきとされる。しかし、日本では最初に開業した民放テレビ局である日本テレビからこの傾向がある。同局は読売新聞グループの支配下にあり、経営面、放送内容などに新聞社の意向が極度に反映されることとなった。一般的に、テレビ局が新聞社の系列の元に縦割りとなった原因は、1975年に行われたTBS(毎日新聞社系)の系列だった朝日放送朝日新聞社系)と、日本教育テレビ(現テレビ朝日)の系列だった毎日放送毎日新聞系)とのネットチェンジ(腸捻転解消)だとされる。これによりキー局と地方局、新聞社の関係が同系列で整理された。また、系列の異なる新聞社が地元企業などと共同で出資したローカル局も新聞社とキー局が筆頭株主になるということで新聞社・キー局の出先機関と化した。現在は建前上は独立企業である放送局(特にローカル局)も一種の子会社レベルの存在意義である現状である。しかも、クロスオーナーシップの影響で新聞社>キー局>ローカル局という力関係ができ、新聞・テレビともお互いに方針に逆らいにくいという弊害が出ている。日本では総務省令(放送局に係る表現の自由享有基準)にクロスオーナーシップを制限する規定があるが、一つの地域でテレビ・ラジオ・新聞のすべてを独占的に保有する状態を禁止する条項である。ヨーロッパ先進国やアメリカ合衆国では「クロスオーナーシップ」を制限・禁止する制度や法律が既に制定されている。日本では「クロスオーナーシップ」が温存されているが、原口一博総務大臣が2010年1月13日の文化通信社のインタビュー[2]や、2010年1月14日の外国特派員協会での会見で「クロスオーナーシップ」禁止の法制化を行うと発言した。

 
5.他のメディアもおかしいと非難する普天間に関する集中報道

  • もう一つきな臭いのは、今回の普天間報道がヒステリックなまでに激しくなった時期は、1月14日の原口総務大臣が新聞社とテレビ局の資本関係を分離するクロスオーナーシップ規制をいい始めた頃からだという事も明記しておきたい。どうも彼らは、自分達の利権を守る為に、政権にダメージを与えようとした可能性がある。それでなくても、民主党は政府の情報を大手メディアが特権的に独占している日本の閉鎖的な記者クラブ制度廃止など、大手メディアと敵対する方針を取ってきている。その方針と合わせて、大手メディアを中心に普天間にたいする批判は強かったが、記者クラブに入っておらず、特権を持っていない中小メディアは、逆に大手メディアの普天間報道はおかしいと批判していた。こういう背景もあると言う事を伝えておこうと思う。

 
 参考資料:記者クラブ制度

記者クラブ(きしゃ-)は、公的機関や業界団体などの各組織を継続取材している、おもに大手メディアが構成している組織。英語ではkisha clubないしはkisha kurabuと表記される。日本記者クラブなどの「プレスクラブ」とは全く性格を異にするほぼ日本独特のシステムであり、フリーの記者などに対し排他的であるとして近年、批判を浴びている。
日本新聞協会は、記者クラブの目的を「国民の『知る権利』と密接にかかわる」ものと定義している。しかし加盟社以外に記者会見を開放しないなど独占的活動によって大手以外のメディアが取材活動に支障を来す場合がある。公的機関はクラブに対し記者室を提供、光熱費なども負担しており、「便宜供与に当たるのでは」といった批判も出ている。取材対象側から情報提供を安定して受ける結果、横並び意識になり、また記者の能力低下も懸念されている。一部の報道によって冤罪などの弊害も出ている。

 
6.健全な疑念こそ民主主義の基本

  • 大手メディアの報道を信じてはいけない。外国人に言わせると、日本人はマスメディアを信じすぎるのだそうだ。私もそう思う。信じない事が健全な事もある。大手メディアの主張は安易に鵜呑みにしない事だ。国民の味方を装って、実際には自分達の利権温存の為の行動をしている可能性があるのだから。沖縄県民は、そのダシに利用された可能性がある。もし本当に沖縄県民の為に報道しているのならば、鳩山氏ばかりを責めるのではなく、どうやったらこの問題が解決できるかと言う特集を組むはずなのに、彼らは鳩山政権のみをせめ立てていた。

 
7.一国の首相も退陣させる事ができる権力集団:テレビ新聞複合型マスメディア

  • 人間の本性は、その言動ではなく、その行為の目的に現れる。私のこの洞察哲学からすると、テレビ局は信用できない。私から見ると、テレビ局や大手新聞社は自分達の独占的利権体制が民主党に壊されそうになったので、利用できそうな問題を騒ぎ立てて、世論を扇動し、政権にダメージをおわせる事で己の利権を守ろうとしたのではないかと言う疑念が湧く、その成果として今日、総理大臣を辞めさせる事に成功したと見る。実際、普天間報道は異常だった。毎日毎日同じ報道が洪水のようだった。いつもの事と言えば、それまでだが、今回のは特に長かった。他のマスメディアが異常だと言うほど、尋常じゃない報道体制だったと言える。同じ事がずっと流れていて、コマーシャル効果に算出したら数百億円単位の規模と言えるだろう。この数ヶ月、国民は、普天間、鳩山辞任を覚えてしまうほど、強烈な情報の洪水に見舞われていたと言える。その結果として、一国の総理が辞任に追い込まれた。マスメディアとは凄い権力だなと思う。だけど、これが最後(ピーク)だと思う、彼らは動きすぎてしまった。この反動は必ず生じるだろう。それが世の常と言うものだ。