SKY NOTE

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減点主義のルーツ

減点主義のルーツは、日本のキャッチアップ政策にある。戦後、アメリカに追いつけ、追い越せという流れの中でオリジナルを正確にコピーする為の考え方だった。

オリジナルに寸分かけてもいけない。その欠けている部分を批判する事で、正確にコピーする事を促し、アメリカにキャッチアップする。それが減点主義の目的だった。しかし、90年代、日本はアメリカにキャッチアップして、追い抜かなければいけなくなった途端、この考え方は日本の成長を止めてしまった。コピーする対象を失った途端、キャッチアップ的思想は迷走し始めることになる。
 
その後、20年の長きにわたり日本はまともな経済成長をしておらず、何が正しいのか自分で考える事も出来ずに、ただ、外国の制度やシステムをやみくもに導入し、失敗し続けている。それが現在の日本の状況。キャッチアップ的思想から抜け出せず、減点主義的思想で新しい芽をどんどん摘んで行く姿は、自分の手足を食いつぶすタコのようにも見える。
 
加点主義について述べるのならば、私は減点主義的な家に生まれたので、減点主義のアンチテーゼとして、加点主義を自分の考え方としている。私は減点主義の良くないところを知りすぎている。まず、何かミスをすれば批判されるわけだから、ミスをしにくい方法を選ぶ事になる。そうなると、前にやった事、従来の方法論、つまり、何も新しい事に挑戦しない事が良い事になる。この減点主義に成果主義が加わると、無気力、前例主義、事なかれ主義が生じる。これが日本が低迷している原因とも言える。
 
加点主義と成果主義が融合すれば、もう少しマシなのだが、アメリカに追いつく為に減点主義を国民の頭に叩き込んだ日本では、成果主義は単なる無気力国民を量産するだけで何の益もないのである。
 
減点主義は100%というものがあって、それに近づける事を目的としているが、今、日本に必要なのは、120%(高付加価値)の今までにないものである。iPadのような製品を世の中は求めている。つまり、減点主義では世界の人々に満足してもらう事が出来ないのだ。今、日本がするべきなのは追いついた100%に+10%とか+20%とか付け足す事である。つまり、挑戦した人を評価する加点主義が必要なのだ。挑戦には失敗がつき物、それをいちいち減点主義で批判していたら、新しい事をする人がいなくなる。マスコミは何か失敗したら、徹底的に批判するでしょう。ああいうのが日本の発展を妨げているわけだ。新しい事をやる人間を震え上がらせるような過度の減点主義はこの国にとって百害あって一利なし、成長を阻害する存在であり、疫病神なのだ。よって、日本のマスコミは減点主義をやめるか?それとも、潰れるかという事が日本全体にとっていい事なんだ。
 
iPadで減点主義的なマスコミが潰れたら私は嬉しい。日本にとってそれはよい事だ。極端な減点主義で人を批判する日本のマスコミこそ、批判されるべきなのだ。ソニー成果主義を導入した事で社員の減点主義的な思想を正当化してしまった。その結果ダメな会社になったと考えられる。日本人は教育によって減点主義が植え付けられており、その存在を前提として、会社の制度も決めないとダメだ。安易に成果主義を導入すれば、それが減点主義と結びつき、無気力社員の量産に繋がる。減点主義は追いつくのにはいいのだが、追いついた後、何も出来なくなる。減らすべき点数がなくなった時、減点主義は役割を終えるのだ。1989年、日本はアメリカに追いつき、減点主義は、この時点で役割を終えていた。つまり、この時点で減点主義を放棄し、加点主義的思想を取り入れる必要があった。日本がアメリカに学ぶべきは成果主義ではなく、加点主義的な思想である。それがアメリカのイノベーションを支えている。
 
今、日本に必要とされているのは挑戦を否定する減点主義ではなく、加点主義に基づくチャレンジスピリットである。減点主義を正当化してしまう成果主義をただちにやめ、加点主義的な評価制度に変えるべきである。