SKY NOTE

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成果主義は間違いだった(日本では)

「全員で幸せになる」日本の強みを取り戻す
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20100323/213550/

テルモの社長さんがいい事を言っている。6年間アメリカで働いていた実体験から...

米国のように文化や歴史的な背景、さらには話す言葉さえも違う多様な民族から成り立っている国の企業は、成果主義を取らないと社員を束ねていけません

...だそうです。つまり、お金で束ねないとバラバラの集団は束ねられない。だから成果主義というのが実状なのだそうです。しかし、日本の場合は、同じ言葉、同じような価値観、ましてや違う価値観を持つようなものならばKYと言って村八分にされるような社会では、そんな必要はない。

成果主義の弊害
・利己主義の氾濫(チームプレイの劣化)
 →ノウハウを後輩に分け与えない
  →他人の成果よりも自分の成果と言う利己主義
   →組織として成長しない
 
そこで、共同体意識が重要だと
・縦割りの弊害の除去(組織の総力を出しやすくする)
・利己主義の弊害の除去(組織としての成長)
 
つまり、成果主義で問題だったのは...
・利己主義による人材の劣化
・縦割りによる組織としての劣化
 
人材と組織としての劣化が成果主義によって生じていた。農耕民族であるため、個人の才覚を追求するよりもチームプレイを尊重する方が日本人の場合力を出しやすい。
 
自分も2005年あたりまでは、成果主義は正しいと思っていたのだけど、成果主義で成功した企業が見つからないのを見て、考えを改めた。特にソニーが酷く劣化したのを見て、成果主義は日本人には劇薬だったと解釈した。ソニー成果主義を導入してからと言うもの10年、一度も成功していないのだ。失敗続きだ。PlayStation2は成功したものの、それ以外はダメ。もっと言えば、PlayStation2を開発していた時期は、成果主義を導入する前のソニー。だから、成果主義導入後のソニーは、わたしから見ると実績はない。フィーリング的に言えば「ソニーらしくない」企業にどんどん変わっていった。決算発表時に素晴らしい製品を発表するのではなくて、利益だとか、なんだとか、ハッキリ言って普通の企業になっちゃった。
 
成果主義で問題なのは、夢(長期的な戦略)を見ないで目先の現実(目先の戦術・利益)ばかりに傾倒しがちなこと、そういうスケールの小さくなったソニーを見て、「ああ、ダメだなこりゃ」と思った。Appleだって成果主義だけど、あれがすごくいいのは、CEOのスケールがデカイから、社長が先頭切って、会社を支配しているからガンガン前にいける。昔のソニーもそういう会社だった。でも、企業が大きくなり、組織としての傾向が強まると、何でも合議で決めるようになる。ジョブズみたいに独裁ができるような強力なリーダーがいれば、ガンガン進めても、日本にはジョブズみたいな人間は社長になれない。どこかでクビにされるか、出世街道から外れる。ある意味、Appleだってジョブスがいなくなったら、どうなるか分からない。そういう意味で言えば、組織として力が出せるシステムの方が、会社としては健全と言える。
 
そこでテルモの社長がやったことは以下の事
 1.チームの編成を会社が指示しない(自主的なチーム編成:考えるチーム)
 2.ミッション(社会的使命)を掲げる(社会性の重視:スケールが大きくなる)
 3.チーム名を「プライド」と名付ける(志をもって働く事を意図する)

そして達成した事は以下の事
 1.部分最適        →全体最適(総力戦)
 2.組織ありき :縦割り  →ミッションありき(縦横無尽なチーム(プライド)編成)
 3.人の囲い込み:人材の独占→全社で活用・育成(有能な社員を会社全体で活用)
 
まず、チームを社員に作らせて、その目的を社会性を持ったものにする。こうすることで、スケールの小さなチマチマした利益目標を設定をするのではなく、常に社会に向きあって仕事をするようにし、そのチームの運用もミッションを中心にする事で縦割りによる弊害を避け、柔軟性を持たせている。そして、人材は独占せずに全社で活用する体制を整える事で総力を出しやすくすると同時に育成する。
 
ソニーの問題
・魅力のない製品 =チマチマした目標設定による夢のない製品
・総力不足の組織 =縦割り構造によって本来出来るスケール感(総力)が出ていない
・有能な人材の離反=成果主義を導入してから、有能な人材ほど流出
まさにソニーの問題点は、成果主義の弊害そのものなのだ。
 
日本が変わるには、成果主義をやめ、もっと柔軟な社会性というスケール感を持ったチーム主義的な組織になることだ。農耕民族である日本人に狩猟民族的なアメリカのシステムは合わなかった。もっと言えば、アメリカのエリートは凄いが、そういうエリートを育てる事がへたくそな日本では成果主義のような有能なリーダーを必要とするシステムは合わない。あらゆる点で、日本には成果主義はあわない。文化的にダメなのだ。
 
モチベーション
→農耕民族的価値観→狩猟民族的価値観とは物事の正当性の基準が違う(やる気の問題)
リーダーシップ
→エリートを育てる土壌がない→強いリーダーがいないと成立しないアメリカ型経営
 
モチベーションとリーダーシップの両面でアメリカと日本とでは価値観や土壌が違う。だから、アメリカ型経営を日本で成功させる為には、価値観を変えて、強いリーダーを育てるエリート教育からきちんとやらないといけないのだ。しかし、そんな事をするよりも、日本には共同体意識と言う強い武器がある。これで一度アメリカに勝ったわけだから、アメリカよりも優れた能力を出せる有望な考え方である事は実証済みだ。個人技ではなくチームプレイで勝つ事を目指すには、成果主義よりもチーム主義で頑張った方が日本は強い。
 
私はよくCEATEC(技術見本市)に行くのだが、ここ10年ほど、ハッキリ言ってつまらない展示が多い。それは日本企業が成果主義を導入し始めた頃と一致するのだ。そこで改めて思うのは、日本のイノベーションはチームプレイから生まれていたのだと思う。個人の才覚を生かすような度量のあるリーダーがいれば、アメリカ型経営でも大丈夫だと思うが、日本はそういうエリートを育てる教育はしていない。だから、日本のアメリカ型経営は「頭がない」と言っても過言ではない。
 
優秀な頭(リーダー)がなくても機能する組織こそ日本が強みを出せる仕組みなのだ。ある意味小回りの利くミッション型のチームからイノベーションが生まれていたのだと思う。それをアメリカ型経営でぶち壊したから、上手くいかなくなったのだ