SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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雨が降っているとホッとする

このブログを書いている今、雨が降っている。春先は雨が降るたびに暖かくなると言うから、の頃の雨は好きだ。もう一つ雨が好きなのは、自分の姿が他人に見えない事である。雨と言うカーテン越しに他人を見る事になるから見えない。私にとって他人とは面倒を運んでくる厄介者、その他人からみえないと言う事は、面倒の元が遠くなり安心できる事なのだ。
 
雨を見ていると、そこに自由がある。他人に干渉されないと言う自由が。僅かな抵抗でも大罪人にされ、問題視されていた私にとって、他人の目が遠くなると言う事は、その分だけ安心できる事なのだ。
 
他人の目が怖い...
 
その怖いものを覆い隠す雨が好きというのは若干、屈折している。雨の音は、私の心に安心を与えてくれる。春先の穏やかな雨は好きだ。温かくなって草木が生え、わたしの心を癒してくれる。この雨の音は、とても私にとって優しいのだ。
 
他人は私にとって核分裂する悪意、些細な事を重大視し、よってたかって人を責める存在。その目は、私にとって恐怖そのもの。この文章を書いてて,なぜ私が他人の目を見られないのか分かった。インフレする悪意、そのトリガーが不明だったゆえに、どういう条件で悪意が核分裂するのか分からなかったので、全ての条件で警戒する必要があった。
 
私にとって僅かな事、相手にとっては自分の権威を覆す重大事、もっと正確に言えば、わたしは正直にモノを言った。つまり、真実を語った。だが、偽りによって権威を確立している人間にとって、僅かな真実でも致命傷なのだ。故に私は大罪人になった。わたしが正直だったから、うそつきにとっては大罪人なのだ。