SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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へ理屈どおりには経済は動かない

経済を見ていて重うは、理屈じゃないと言う事だ。正確に言うと、理屈で動いている部分に感情が混ざっていると言うところだろうか?だから、ミクロとかマクロとかいっても、それは、基本的に論理的整合性の面では正しくても、感情を含めた現実とは合致しない。
 
日本の財政赤字が膨らめば、格付け会社が日本国債の評価を下げる。マクロ的に見れば、日本国債を買っているのは、日本人が殆どなのだから、日本国債の格付けが下がっても、日本の円の価値は変動しないはずである。なぜなら、マクロ的に見れば、円市場と言うコップの中での資本の移動に過ぎないのだから、でも、実際には格付け会社が評価を下げると、円の価値が下がり、金利が上昇する。(金利が上昇すると通貨の価値も上がる事が多いが、国自体の信用が下がれば、通貨は売られる)この時点でマクロ何たらと言っている人間の言っている事が全く現実と乖離している事が分かるだろう。(この中でのマクロ的視点は、現実を極端に単純化した解釈であり、そもそも、この程度のものをマクロ的視点と言う事自体が稚拙ではあるのだが...)
 
市場は、感情と合理のせめぎ合いの中で動いている。よって、格付け会社の評価も、ある意味、感情的なのだ。そして、それに反応する市場もまた感情的なのだ。私も合理的整合性があり、キレイな論理は好きだ。その方が楽だもの。でも実際は、楽ではなく困難である。必ずノイズが入り誤差が生じる。そして、誤差だけでなく、それ自体が、流れ自身を構成する事だってある。それが現実なのだ。
 
論理的に楽な方にばかり甘えてないで、苦労する現実を直視した方がいいと思う。そういう人間心理を汲み取り、尚且つ、実利的な方策を導き出す。日本の場合には、莫大な貯蓄資産があるのだから、それが一般市場に流れるような仕組みを作る事が大事なのだ。お金が動くきっかけを与え、それが経済を動かす。需要というのは言ってみれば欲望なのだ。欲望とは何かと言えば、ある種の感情なのだ。理屈を言っても感情は動かない。同じ理屈でもへ理屈じゃなくて、ちゃんとした理屈だったら人は納得して動く、でも、日本人に英語を言っても何の事だか分からないように、難しい経済用語を言っても、人の欲望、つまり、需要は喚起されないのだ。