SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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iPadとは何か?

1.キーボードがなく誰でも使える直感的なiPad → Universal Computer

  • iPadを見た時、機械オンチの母に薦められるパソコンがやっと出来たと感じた。母に機械を使わせるとボタンが二つ以上あるとダメなのだ。携帯も教えるのも大変だった。その点から見るとiPadは、非常に素晴らしい。ボタンが一個しかない。iPadでもタッチパネルにボタンが出てくるじゃないかと思われるかもしれないが、ディスプレイに表示されるボタンは、キーボードと違って、GUIで装飾されているため、それが何のボタンか分かるようになっている。母はボタンの意味でつまずくのだ。そういう母に合わせて家の家電製品はとにかくボタンの少ないものを選んでいる。(最近のボタンの多い家電製品は母のような人間を無視している)

 
2.どんな状態でも使えるコンピューター → Always Computer

  • これは、前かかみになってパソコンを操作している人達を見れば分かる。彼らはパソコンを使うために座って膝の上に乗せなくてはいけない。しかも大抵が低品質なTNパネルなため、見る姿勢をパソコンに強制される。しかし、iPadの液晶は広視野角のIPSパネルなので、見る角度を強制されないから、自由な姿勢で見られる。つまり、ソファに座ってリラックスしながらネットサーフィンという状況が生まれる。ノートの前で前かがみになって見にくいディスプレイを猫背で眺めるよりも遥かに健康的だ。また、ノートは、その構造上、立って操作する事が出来ない。その点、タブレット型のiPadは立って操作が出来る。これが何を意味するかと言うと、使う場所が制約されないと言う事だ。従来でも携帯が、そういう機動性能を有しているが、携帯は画面が小さく、表示性能に限界がある。つまり、iPadは、どこでも使えるリッチなコンピューティング環境と言える。680gとノートに比べれば軽いので持ち運びやすい点も重要。つまり、軽くて使う場所を選ばず、画面も大きい事からAlways Computerと言えるのだ。従来のノートPCは「常に」使える状態ではなかった。なぜなら、座る場所がなければ操作できないからだ。必ずPCを置く場所を必要とするので、常に使うために必要なシチュエーションを選ばない状況ではなかったのだ。

 
3.紙の代替となりうるコンピューター → Electronic Paper

  • 従来のノートPCは、書類の表示に適していなかった。なぜなら、縦長の書類を表示するには解像度が足りない上に画面も小さかった。高級機で解像度を満たしていても、画面が小さすぎて、文字の視認性が著しく劣っていた。つまり、1枚の書類をまともに表示できないノートPCは紙の代替としては半人前だったのである。また、持ち運びもPCは重くて、使う場所を選び、紙としては不便だった。要するにノートPCはノートPCでしかないのである。従来のタブレットコンピューターとの違いは、片手でギリギリ持てる680gの軽さと、10時間というバッテリー持続時間、それに対して大きく美しい画面を備えたバランスの整った仕様である。従来のものが一部を備えていても、これほどきちんと調和のとれたスペックの製品は未だかつてなかった。その完成度の高さが紙の代替として評価する理由である。

 

  • NOTE PCとの違い:紙のように使う場所を選ばないモビリティと高品位な表示品質
  • kindleとの違い:カラーvsモノクロ(カラー印刷の再現が可能)
  • 携帯との違い:画面の大きさ(1枚の書類(紙)を見渡せる画面の大きさと解像度)

 

  • つまり、従来のどの製品にもない紙に近い特性をハイレベルで整えているバランスの良さがiPadの特徴である。そのために独自のCPUや高画質なIPS液晶などを備えている点が特筆すべき点である。紙の代替になるので、普及したらプリントアウトせずに「Pad Out」なんて造語も出来るかもしれない。

 
4.何にでもなる柔軟性を外に持ち出せる → True Mobile Computer

  • 実質的にはコンピューターなのでソフトさえあれば何にでもなる。インターネット、メール、ゲーム、本、テレビと、ジャンルを選ばないトータルメディアコンピューターと言うべき存在だ。従来のPCとの違いは、紙のニーズと融合したコンピューターと言う事である。紙の上でダイレクトにやれたらなということが素直にできる構造である事だ。勿論、それは大きなモニターがあれば、従来のPCでもできた。しかし、それを縦表示にする事で外に持ち出して出来るようになった事が重要なのだ。しかも、持ち運べる重さの範囲内でそれを実現した事が大きい。従来のものは重すぎてダメだった。軽くても画面が小さかったり、何か一つ欠けているものがあり、不完全だった。

 
5.バランスの良いスペック(疲れない操作体系)

  • さて、iPadの肝は、個々のスペックよりも、それを組み合わせたバランスの良さにある。そこで、そのバランスについて述べる。従来のものは、表示品質が低すぎて長文を読むのには向かなかった。だが、私は昔、iBooksの画面のようなテキスト表示ソフトを作った事があるので、紙がなぜ読みやすいのか知っている。(自作のソフトは未完成だったので公開はしなかった。ちなみにMacOS 9)紙が読みやすいのは、紙がオフホワイトであるからだ。完全に真っ白の画面は眩しすぎて読みにくいのだ。だから、このblogのバックは、白ではない。多少暗くしている。そうする事で長文を読みやすくしているのだ。(テキストエディタの背景色の設定をグレーにしてみると分かる)さらにもっと言えば、スクロール操作は面倒だということだ。ページ表示の方が遥かに検索性が高く、操作の手間も少なくて済む、スクロール操作の嫌なところは、画面が動くので、今まで読んでいた部分を探さなければいけないのだ。これを繰り返すと目と神経が疲れる。ページ送りの場合、その部分が固定されているので、疲れずに読む事が出来る。

 

  • だから、iPadを買って電子本を読む人は、PCで文章を読むのと違って読みやすいと感じる筈だ。私は、自分でアプリケーションを作って表示させていたから、よく分かる。PDFでも同様の事が出来ると思うだろう。確かにできる。しかし、殆どのPDFは真っ白な背景であり眩しくて目が疲れるのだ。大事なのはバランスだ。それが欠けていると、疲労が大きくなる。それにPDFのファイルはページ送りがトロい。0.3秒以内にページがめくれないとダメだし、画面を開いた時にインターフェースがゴチャゴチャしているなんて、読書環境としては最低、ナンセンスだ。操作性もボタンがあるところまでマウスを持っていかなければいけない。だが、iPadだと普通の本と同じように使う事が出来る。これって重要。わたしの母でも使えるし、私自身も小さなボタンに意識を集中するよりも大きな電子ブックの縁をタッチパネルで操作する方が楽だ。小さなボタンをマウスで操作するのも結構疲れるのだ。(それは動作を検証してみれば分かるだろう。マウスを動かすときの腕の動きと、タッチパネルを使う時の手の動きの量を見れば一目瞭然だ。指先で直感的に操作できるiPadの方が運動量も、神経も両方とも軽微である事が分かる。微細な違いと思うかもしれないが、これを何回も繰り返すと大きく違ってくるのだ)

 
まとめ

  • 私はiPadの仕様と画面を見ただけで、クオリティコントロールがしっかりしていると分かった。わたしに言わせると「よくわかってる」という評価だ。従来のソフトもハードも、この完成度には遠く及ばなかった。だから失敗した。だが、iPadは成功するだろう。なぜなら、使ってみたら、その快適さに気づくだろうし、値段も高くない。安くて使ってみていいものは、普及する。iPodのように。機能だけを見て評価している人は実際に使ってみると、長文を読んでも、なぜか疲れない事に驚きを感じるだろう。それを実現する細部に対するこだわりが、使ってみて分かるからだ。そして、紙を不便だと思う時が来るかもしれない。そういう意味では初めて紙のように使えるコンピューターが登場したと言えるのかもしれない。紙の地位を脅かす存在と言えるだろう。そして、紙が無くなるということは、それに付随するオフィスの存在や、メディアの形すらも変容させる可能性を秘めている。今までは、完成度が低くて、侵食する事はなかったが、iPadの登場で、それが変わる状況になったと言える。そういう意味でiPadとは革命的な紙(Revolutionary Paper)と言えるだろう。