SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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書く事がないので自分の事について書いた見た

最近は、書く事がないので、自分の事について書いて見たいと思う。
明治生まれの義理の祖母に育てられたので、「もったいない」は標準仕様である。だから、昭和の親達に育てられた他の子達とは違っていた。他の子達は、給食の食べ物を平気で残し、残飯入れに平気で入れていた。私は食べ切れなくて残す時には、残飯入れに申し訳なさそうに入れたものだ。(そして、できる限り全部食べようとする。体調が優れなくても:体に良くない)
 
帰り道は、いつも1人で帰るのが標準、人は複数いると、歩調を合わなければいけない事が多く、面倒だと思うのがわたしの感覚だった。要するに楽しい事は楽しいけど面倒な事は嫌と言うのが子供の頃の私だった。
 
服に対するこだわりは皆無、中学生になると大抵の人間は色気づいて格好をつけるものだが、私はいつも制服かジャージで良かった。別に私は格好をつけても格好がつかないと思っていた。私が猫背で歩くと、女子が避けるので、まぁそういう風に見られている人間が、いくらカッコつけても滑稽なだけと思っていた。
 
高校生になると身長が急にのびた。179cm位になり、中学生までの友達はわたしを見ると驚いていた。それまでは前から5番目くらいだったのに、高校生では後ろから数えた方が早くなってしまうほど身長が伸びたのだ。この頃から、あまり舐められる事はなくなっていった。背丈というものの威力は凄いと感じる。(自分の中身は何も変わらないのに外見が変わるだけで相手の対応が変わる事になんと他人とはいい加減なものだと思ったものだった)
 
相変わらず猫背、理屈っぽく、コンピューターやオーディオに興味を持っていた。ただ、体調があまりよくなく毎日せき込んでいた。あまり、体は強い方ではなかった。たまに猫背でなく背を真っ直ぐにして歩いていたら、「お前、背が高かったんだな」と言われた。要するに猫背が標準の背丈だった。
 
性格は基本的に呑気な人間で、静かに暮らそうと思うような半ば老人のような若者だった。他者に干渉しない事を信念としており、極力どうでもいい他人の事など構いたくないのが私の意識であるため、他人に必要以上に干渉してくるような種類の人間とはよく対立した。「お前のようなヤツは、俺は大嫌いだ。この世の中から消えて欲しい」とか、煩い女子に言ったら、ビンタされたりもした。
 
基本的に他人とは何かと言うと煩い。(わたしにとって)どうでもいい些細な事にこだわり、自分の平穏を乱すものだった。腹痛と頭痛と立ちくらみと咳でヨロヨロの私を引きずり回して何が楽しいのかと思う事が多かった。彼らの形に対する執着は、自分のみならず他人にも適用されるので非常に迷惑なのだ。人に合わせるのは、私にとっては疲れるだけだった。日常的にグッタリしている人間だったので、何もしない事が素晴らしい事であって、何かを事細かにやると言う事は面倒以外の何ものでもなかった。大人になってからは食事やサプリメントや服を工夫して、体調を普通にする事が出来た。栄養バランスの悪い食事と、体に合わない服と、ストレス源が無数にあり、発言権はゼロと言う家庭環境に置かれていたので、非常に辛かった。
 
小学生の時、そういうグッタリした自分の境遇を絵日記に書いたら、先生に猫の絵を描かれて返礼されてしまった。私は猫と同じと言う意味らしい。まぁ私と言う人間はそういう人間なのだ。
 
そういう人間なので、西欧の自由主義個人主義は自分に合うと思っていた。どうして、日本と言うこんなせせこましい事に執拗にこだわる国(犬社会)に生まれてしまったのだろうと思った。それでも、ご飯とみそ汁と、ハイテクと、アニメがあるこの国も悪くないかなと思う自分は、やはり日本人なのだなと思う。