SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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日本のダメなところは思想、哲学が無い事だ

最近、ほとほと思うのは、この国は「利の理屈に弱い」という事、つまり、お金を稼ぐ為には、道を選ばない事を半ば認めてしまっているところがある。私は戦後、焼け野原から立ち上がる為に、そういう発想になった事は責めない。それは仕方がない事であっただろうから。
 
だが、「衣食足りて礼節を知る」とあるように、今、この日本と言う国は飢えに苦しむわけでもなく、衣類に困る事もない。私はいつもボロボロの服を着ている事が多いが、その目線で見ると、他の人はなんと立派な服を着ているのかと思う。ゴミ箱には食い残しの弁当があったり、食べ物にも不自由していない。だからこそ、今思うのは、礼節を知る。つまり、思想や哲学を持つべきだと思うのだ。なぜ、そんな小難しいものが必要なのかって?それは、それがある事で社会がより良くなるからだ。
 
私は日本のジャーナリストを批判する事が多い、彼らがレベルの低く節操のない報道をするのは、ひとえに「利」の為である。つまり、利益(視聴率や部数)を得るために、ただ話題になればいい社会にとってはどうでもいい情報、好奇心をかき立てるだけの報道、つまり、お金になる「だけ」の報道が多すぎる。でも、単なるお金に換算できない価値を訴求する精神、つまり、哲学や理念があればこそ、社会のためになる情報、好奇心はかき立てられないかもしれないけど社会に必要な情報を提供する事が可能となる。会社であっても、組織の中で、正しい事を認める事が出来るのだ。
 
この国のダメなところは、理念、理想をバカにする姿勢がある事だ。私が戦略を立てるときには、まず理想があって、それを現実とマッチングさせるために数字をかき集めて、可能性を検討する努力をする。やはり、理想と言う高い目標がないと戦略と言う全体構想を肯定する事は出来ない。それがなければ、小さなテリトリーを守る事ばかりを正当化してばかりで、結局こじんまりまとまるのが関の山なのだ。日本には技術があっても、それを生かすビジネスモデルがないという。それは基本的には「大きな利」を追求する「理想」や「哲学」がないからである。
 
社会に不正がはびこるのは、それが生きられる土壌があるからで、どこかで、そういう事を認めてしまい否定する力が弱いからこそ、そういうものが生きていられるのだ。つまり、バイキンが存在出来るのも、それは不衛生であるからであって、バイキンのみが問題と言う事ではない。そういうものを駆除するのにも、思想、哲学が必要なのだ。
 
話題になればいい報道は有害だ。日本のテレビ局のワイドショーなどは、言っている事に一貫性がない。なぜなら、話題になればいいから、一時の話題のために、平気で前言っていた事と別の事を言い出す。それは「利の理屈」、それも「小さな」利の理屈である。思想、哲学がなく、ただ、己が利のために主張しているから、そういう主張が出来る。よって、偏向報道でも何でも視聴率がとれれば、何でもいい。だから、一貫性のある筋の通った事が日本は出来ない。そうやって小さく「こじんまり」まとまっているから、世界の競争に負ける。技術があっても、それを大きく組み合わせて、構想出来る人間の言う事を、「小さな利の理屈」で否定する。つまり、「構想出来ない」のではなく、「構想出来る人間の意見を黙殺している」から、この国は競争に負けるのだ。日本には、有能な人間はゴロゴロいる。だが、それらの人々が、その実力に応じた権限を与えられているとは言い難い。目的意識の低い組織の中では、結局、声の大きいものや社交性に優れた者が昇進しがちである。理念、哲学の欠乏が、全体を俯瞰した戦略構想が立てられない最大の原因なのだ。そして、今の日本の閉塞は、その構想の無さによる所が大きい。
 
それはつまり、思想、哲学の無さが、この国の最大のボトルネックなのだ。何かを貫き、大きなものにしていくのには、それを支える思想や哲学がないと厳しい。ちょっとした苦難にもへこたれないしっかりした考え方があってこそ、世界に認められるサービスや製品になるのだ。
 
具体的には新幹線システムを見て見よう。これは海外に販売出来る日本の誇るべき運輸システムである。このシステムの最大の付加価値は「安全」だ。サービスを開始し始めてから死亡事故はゼロという驚異的な運輸システムである。割高な日本のシステムが売れる理由は、そういう安全思想に裏打ちされた堅固な技術の集積にほかならない。故に高くても売れる。
 
プラダとかシャネルなども、基本的に品質の水準が高いと言う信頼がある。つまり、ブランド力があるからこそ、高くても売れる。思想や哲学があればこそ、高い目標を設定出来、それが信頼に結びつき、高くても相手が買ってくれる商品が生まれる。
 
二酸化炭素を削減するのにも、火力発電の効率化をこじんまりとやるよりも、自然エネルギーと省エネ技術を全て組み和せて、全体を構想し、その上で二酸化炭素ゼロの社会を目指すの様な哲学(包括的な理念)が欲しい。それがあればこそ、地球は救われる。目先の小さな障害に目を奪われて、全体を見失い、結果として、儲けているのは日本の部品を使った海外のシステムメーカーという構図を見るたびに、そう思わずにはいられない。
 
先進的な技術があっても、それを運用する人間が先進的な価値観(哲学、理念理想)を持っていなければ、ブタに真珠、猫に小判なのだ。