SKY NOTE

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NHK「坂の上の雲」第三話 明治と昭和と平成の違い

子規が結核にかかって、松山に戻ったときの子規の家族を見て、「くそぉ、あったけぇなぁ〜」と思った。子規を包む温かい家族をみて感動した。「ああいう温かさが明治の人々を支えていたのかもしれない・・・」日本の士族が自分達にとって何の得にもならない改革をやってのけたのは、ひとえに勝つ為であったと思う。なぜそうまでして勝つのか?それは多分、子規の家族のような、ああいう温かい家族を守る為だったと思う。
 
武士道では勝つ為に命を捨てる覚悟が求められる。その覚悟がないものは笑いものになる。つまり、誇りとプライドが自分達の利権を小さく愚かなものにし、それを捨てて得た勝利こそが武士の美徳だったのだと思う。故に勝つ為に必要のないものは捨てたと言える。そういう覚悟の出来たものは強い。だが、その後の戦争では、単なる愚鈍な精神論に姿を変え、一億総火の玉状態になってしまい。最後にはアメリカに原子爆弾を落とされて降参した。
 
明治の勝つ為の気概と、昭和の一億総火の玉の虚栄に満ちた精神論と何が違っているのか考えてみた。明治の人たちは、列強の強さを正確に把握していた。その上で自分達が強くならねばならないと謙虚に考え、外国の力を吸収し、改革を断行した。しかし、昭和の戦い方は、ミッドウェー海戦で負け始めると、最初から誤報を流し、偽りの上に立った戦いをした。そういう意味では明治の戦争とは現実主義的であるのに対し、昭和の戦争は夢想主義といってよいだろう。
 
つまり、明治と昭和の違いは、現実と虚栄の違いである。明治の人たちは、列強の強さを正確に把握し、その上でどうすれば勝てるか考えたのに対し、昭和の日本軍は、アメリカの強さを理解せず、負け始めて、その強さが分かった段階でも、まだ現実を受け入れず、国民に誤った情報を流し、その結果、最後には首都を空襲で火の海にされ、原爆を二発も落とされて、ボロ負けした。
 
つまり、明治と昭和の違いは、現実認識に差があったと言えよう。列強の強さをきちんと把握し、戦い抜いた明治の秋山兄弟の時代は日本は戦争に勝っていた。しかし、列強の強さを見くびり甘く考えていた昭和の戦争ではボロ負けした。
 
これは現在の経済にも通じる。戦後復興に明け暮れていた日本は、アメリカや外国の強さをきちんと理解し、その上でどうやって勝てるか冷静に考える事が出来ていた。その頃の日本経済は強かった。しかし、一度、アメリカを所得で抜いたとき、驕りが生じた。自分達は強いのだと過信するようになった。その頃から、外国の強さを見誤るようになり、日本経済は負け始めた。現在、日本は勝ててないのにもかかわらず、日本は技術力では一番だと豪語しているのは、昔の日本軍と何ら変わらない。本当に技術力がナンバー1ならば、勝てている。日本が弱いのは量産技術だ。だから、価格競争に勝てない。人件費を言い訳にして、相手の優れた量産技術をきちんと評価出来ていない。
 
日本が勝つ為には、自分達が技術力1番などと言う驕りを捨て、冷静に外国の力を把握し、その上でどうしたら、それに勝てるのか真之の様に冷静に判断する事が必要だ。ケンカに勝つ方法は、まず、相手の力量を見定め、その上で自分が勝てる方法を探すのが鉄則、その鉄則を最初から破っているから日本は負けるのだ。日本よ、もっと謙虚になろう。謙虚になれば勝てる。冷静に列強の力量を見定め、その上でどうやったら勝てるか考えた明治の気概こそ、今の日本に必要なものだ。
 
まとめ(歴史に学ぶ勝利に必要な事)
・正確な現状認識が勝利に繋がる
 ・明治時代:列強の強さを理解しつつも、その弱点を理解し、ギリギリ勝っている

    • 不利な条件があっても、それを言い訳にせず、勝てる方法を探しだし、勝っている。

 ・昭和前期:アメリカ軍の強さを見誤り、事実が明らかになっても認めなかった。
 ・昭和後期:負けた反省から敵の技術力の高さを認め、その上で勝てる戦いをした。
 ・平成  :技術ナンバー1と驕り高ぶり量産技術で負けていても、それを認めていない