SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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対話の不思議さ

ふと思う事がある。同じ結果の論理でも、共感しやすい形にした方が対話が成立する。不思議だ。話の中身としては同じである。ただ、外装が違うだけ、それだけで、どうしてこうも結果が違うのかと思う。
 
大体答を導き出すときには、共感とか感性とか、そういう要素はいらない。ただ理詰めの論理で答を引き出せば良い。しかし、一度答えが出来上がった後で、それを世の中に広めていこうという段になると、途端に共感という要素が重要になってくる。もっといえば、内容よりも、共感的要素の方が重視される傾向すらある。
 
一体、この違いの大きさは何なのだと思う。まるで得られる結果が違う。同じものが、こうも違う評価を受けるのは、非常に腑に落ちないのだが、現実はそうなのである。まるで、美人とブスの違いのように違う。美人とブスは同じ人間であり、本質的に何ら変わる事がない。しかし、評価のされ方は大きく違う。どうも共感というのは、そういう要素があるようなのだ。
 
そういう意味では理詰めだけの私の主張は、あいつの意見は理屈っぽくてブスだから嫌いだという事になっているのかもしれない。しかし、共感しやすいように言葉を選んで表現すると、多分、理知的で美人という事になるのかもしれない。正直言って物事の中身よりも外見の方が優先されるのはどうかとも思うのだが、考え方を変えてみて、そうすれば、自分の意見が通しやすくなるじゃないかと思えば、それはそれで悪くないかもしれない。