SKY NOTE

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青い文学シリーズ太宰治の人間失格というアニメを見た

土曜日の深夜の青い文学:太宰治人間失格というアニメを見た。
 
Googleで検索して感想文を読みながら、こう思った。
ある感想では、太宰治の自伝でしかなく、名作ではないという事であった。それが名作と言われたのは、それを書き終えた後、太宰そのものが自殺したというスキャンダラスな事件があったからだ。...というゴシップ紙的な発想で批判していたが、まずこれは間違いだ。ゴシップ記事なんてモノは時間が経てば忘れられてしまうものだ。それが何年も人々の共感を保たれながら存続するには、それ以外の何かを持っていないといけないのだ。
 
また他の感想では、主人公の駄目人間ぶりを見て、無能で愚かな人間だという感想がある。能力の強弱で物事を評価するのであれば、それは正しい。ただ、この作品というのは、人間の駄目な所を正直にストレートに書いた所にあると思う。人というのは大抵は虚飾をまとうものだ。しかし、太宰のこの人間失格で書かれている事は、人間の駄目な所を包み隠さず述べている虚飾のなさにある。その嘘偽りのない言葉が後世まで生き残っている理由なのである。
 
つまり、この作品が評価されているのは、ゴシップ的な話題性でもなく、主人公の能力の強弱で論ずるものでもない。人間の弱さを包み隠さず書いた真実性にある。ある意味、嘘偽りがないのだ。本人は自分が嘘をついている事を自白しているのだが、それを告白すること自体が正直なのだ。
 
人間というのは大抵駄目な所がある。でも、それを隠しながら生きている。なぜなら、それを表に出すのは恥だからね。でも、この人間失格は、それを包み隠さず書いている。これを読んだ人は、主人公が自白する事によって、自分の駄目な所も自白している様な、ある意味、罪滅ぼしの様な感覚に襲われるのであろう。それがこの作品が生き残った理由なのだ。つまり、この作品は太宰の自伝でありながら、他の全ての人の自伝なのだ。人間なんて、そんなに奇麗なものじゃない。その汚い所を隠しながら生きている。それを何も隠さずに書いた文章に読者は一抹の潔さを感じる。それがこの作品の真の価値なのだ。つまり、この作品を読む事によって読者は、虚飾にまみれた現実から、ひと時だけ解放される。それがこの作品が生きながらえてきた理由なのだ。
 
誰だって駄目な所がある。それを受け入れて前に歩こうとしたときに人間としての成熟がある。しかし、太宰治は恐らくそれを受け入れる事が出来ず、死んだ。この人間失格は、その成熟と未熟の分岐点の中にいる人間の独白と言っていいのではないだろうか?