SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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利他主義という略奪行為

自分の意志ではなく、他人の意思を尊重する。それは一見、利他的な他人を尊重する生き方の様に見えるが、実は怖い考え方でもある。尊重する他人の意思が悪い事であった場合、問題があると反論しない事も意味するからだ。つまり、そこにモラルが生じなくなる恐れがある。しかも、他人の意思を尊重したという大義名分によって、自己の責任を免れる計算高さも備わっている。
 
独裁者が他人に求めるのは、自分以外の人間が自分に対して「利他的」であることである。そうである事を強要する為に自らに従うものを賞賛し、従わないものを冷酷に排除する。反論を許さない姿勢が糾弾する大義名分は自分に対して「利己的」である事である。つまり、他人が自分の都合や立場を主張した事を個人のワガママとして糾弾する訳である。しかし、それは逆なのだ。独裁者が相手の立場を無視する為に自分に言うべき言葉を他人に言っているに過ぎない。
 
本当は他人の意思を尊重していない利己的な人間は独裁者の方で、自分の立場を主張したり、意見を言う事は、当たり前の事だ。それを許さない姿勢こそが実は一番ワガママなのである。誰でも言う事は出来る。それを黙らせるなどあってはならない亊だ。意見を言った上で、調停したり、譲歩したりする過程で自分の意見ばかりを通して相手の意見を尊重していない段階でワガママと言えるのである。だから、言う事すら許さず、最初から黙らせるなど、相手の意見を聞かず、最初から自分の権利を通している一番ワガママな存在だと言っていい。
 
そんな一番傲慢な意見を通すときの大義名分が、自分が言われるより先に相手をワガママだと言ってしまう事である。権利を主張する事自体をワガママと否定する事なのだ。言い分を聞かず、最初から黙らせるという非常に傲慢な主張だ。私は、そういう傲慢な態度を見ると、こういう傲慢なものほど、排除するべきなのだと考えるのだ。
 
官僚が自分達の息のかかっているものだけを招集して審議会とやらを開き、そこで多くの事を決定するというプロセスは、私から見ると非常に傲慢な態度である。権利の構成比も妥当でないものが多く、あからさまに民衆に対する略奪行為をしていると感じる。そんな略奪行為をしている者どもに対して、選挙で政権交代をして裁かない民衆とは一体なんなのかと思う。