SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

継続可能なシステム

あらゆる活動は、何らかの形で破壊が伴うものである。故に活動をし続ける事は原理的に出来ない。破壊が全体に広がりシステム全体が破綻してしまうからだ。その為、継続可能なものには、必ず活動を緩め、破壊の後には修復する仕組みがある。修復が間に合わなくなって、破壊が徐々に進行し、システム全体を支え切れなくなった状態を寿命という。
 
人間が活発に動き、体温が上昇した時、汗をかく、これは体温が上昇し続け、42度以上になってしまうと、体のタンパク質がゆで卵の様に固まってしまい。それが代謝機能を破綻させて、死に至る。その為、人間の体は汗をかく事で体温を下げ、体の活動を停滞させる様に出来ている。痛みや疲れが生じるのも同様の理由である。つまり、痛みや疲れという感覚がブレーキとなって、体を停滞させ、その間に修理をしているのだ。それは睡眠にも当てはまる。眠くなるのは修復時期だからだ。
 
非常に当たり前の事であり、常識的な事だと思うが、今、金融危機で起きている事は、これと同じなのだ。アメリカは金融工学を利用して、システムが修復する能力以上に(過剰に)活動するシステムを作り、結果として、システムの破壊が全体に広がり、破綻した。アメリカのシステムの欠陥は、循環する為に必要な破壊(活動)と修復の対称性を欠いていた事である。
 
この対称性を欠くシステムは、破壊が徐々に広がってしまい継続できない。いま、世界に求められている改革とは、破壊(活動)と修復(休息)の調和のとれた継続可能なシステムの構築である。それは循環型市場経済と言うべきものだろう。その為には、痛みや疲れ、汗に相当する仕組みが必要なのだ。レバレッジは、人間の体に強壮剤を打ち続ける様なものであり、修復を上回る活動をさせてしまうので、規制する必要がある。継続には停滞も必要なのだ。停滞を悪とし、成長し続ける事を考えた非対称的な発想が、システムを破綻させた。
 
大事な事は調和である。継続可能な調和、破壊(活動)と創造(休息)のバランスが必要なのである。それをどう実現し、新しい社会を構築するかであるが、その新しい社会とは、グリーンニューディール政策にもある様に、エネルギーや資源を自活できる社会システムの構築の亊である。つまり、単に石油をがぶ飲みして経済を発展させるのではなく、その裏付けとなるエネルギーや資源を自然から調達し、継続可能なものとする。食料、資源、エネルギーが継続的勝つ、安定的に調達できれば、人間は生きていける。生きる最低条件が満たされて、それが皆に平等かつ公平に行き渡れば、経済としては成功と言える。その為、自然エネルギー産業で雇用を創りだし、富の分配と継続可能な社会インフラの整備を同時に行なおうとしている訳だ。
 
この継続可能というモデルに当てはめると、日本の政策は場当たり的で破滅的である。エネルギー利権を温存する為に地震を引き起こす可能性のあるCCSを積極的に導入しようとしていたり、ウラン天然ガスなど地下資源を当てにした政策ばかりをしている。継続的調和性に欠けており、コンセプトが20世紀的で古すぎる。食料やエネルギー自給率の低い日本こそ、農業の復活や、自然エネルギーやバイオ資源の開発を積極的に行なわなければいけないのに、それを十分に行なっていない政府には有権者(主権者)としては甚だ不満である。
 
そういう意味で、政権交代をして、古い体制をリセットして新しい社会の構築をし、継続可能な社会を作る亊こそ日本の景気回復に最も効果的なものと言える。そして、その決断の鍵は私達有権者の一票にかかっている。古い体制との癒着を切り捨てるには、政権交代が最も効果的なのだ。政権交代の存在が癒着構造が温存できない危機感を生むからだ。癒着システムを作り甘えの構造を作ろうとしても、それを根元から破綻させてしまう政権交代があることで、システムが常に正常に保たれる。だから、一方通行の亊を継続してはいけない。それはシステムの破綻を招くから。
 
バランスのとれた判断とは、間違っているという亊を自覚する事である。今の経済が正しいと思うのならば継続し、間違っていると思うのならば変えるのだ。アメリカが変わる事が出来たのは、アメリカ人が間違っていると自覚したからである。そして、その自覚に基づいて投票したからである。そういう自覚と行動こそ、継続可能なシステムの礎となるものである。
 
痛みを知覚しないものには破滅が待っている。それは危機を自覚しないものには、危機を止める事は出来ないからだ。継続とは、そういう危機感の上に成り立つ。その危機感の元、破壊の為の破壊をするのではなく、破壊を停止し、修復する事を考える亊が継続の為には必要である。それが「常識」である。その常識から外れたものには破滅が待っている。なぜなら、継続に必要な破壊と創造の対称性を伴っていないからだ。