SKY NOTE

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色々な原理主義

色々な原理主義

私は、原理主義とは一つの原理、つまり、理屈に支配された人間と思っている。ある種の一つの思想に依存した存在と考えている。そういう人間を私が見てきた中で見てみると以下のものがある。

・恐怖が原理となっているもの(臆病、悲観主義)
・才能が原理となっているもの(自惚れとも言う)
・教条が原理となっているもの(教条主義

まず、恐怖が原理となっている人は、恐らくその人はよっぽど不幸な事が過去にあったのであろう。それ故、何事にも恐れを抱く事で、それを回避する事に意識が集中するあまり、他のものを見る余裕がない。そうする事で視野が狭まり、間違った判断をする。

才能が原理となっている人は、自らの才能によって、実績を出し、その実績によって自らを正当化するが、やっても出来ない普通の人間の立場を見ていない。つまり、自分の才能以外の物を安易に否定する。実績で自らを肯定するのはいいが、だからといって他人の立場を度外視していいという事ではない。才能以外の存在を把握していないという点で視野が狭いと言える。

教条が原理となっている人は、教えがいかに正しかろうとも、現実を直視できなければ、その教えは何の意味もない。礼儀作法の家元の人が、「いくら形を整えても、相手を思いやる気持ちがなければ何の意味もない」という言葉にある通り、教えというのは、その外の世界への感受性の欠けた人間には、意味がないものとなる。教条にこだわり、その本質を理解せず、現実を直視しないのは、視野が狭いと言える。

共通するのは、一つの理屈で全体を見ようとする姿勢だ、あるものは恐怖で、あるものは才能で、あるものは教条で、要するに単純にモノを見て、発想が成熟していないという事だ。恐怖ばかりを見ている人は、建設的な楽観性を持っていないので挑戦をしない、才能でモノを見る人は、才能のない人間の苦悩が分からず、チームプレイが出来ない。教条でモノを見る人は、現実と理論の区別が出来ていないので、現実よりも理論を優先し失敗する。

彼らの過ちの原因は、その原理以外の視点の欠落である。
1.恐怖を原理にしている人だったら、世の中にはマイナスだけでなくプラスな事があると知り、挑戦してみよう。
2.才能だったら、才能のない人間を思いやる姿勢が足りない。それが出来てこそチームプレーが出来、その中で全体の利益を最大化できる。
3.教条だったら、現実をよく見よう。そうすれば、現実を動かせるだろう。