SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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文系の人の環境の誤解

文系の人の環境の理解の仕方は言葉で行なわれる。だから、こう言う論理が成り立つ。

電気自動車を作っても、その電気を作るのに石油が使われるから、電気自動車は無意味だ」

だが、理系の論理は違う。

電気自動車は、駆動系の摩擦損失60%を、ほぼゼロに出来る為、石油から発電しても、効率は2.5倍優れている。さらにディーゼルエンジンにすれば、従来のガソリンエンジンに比べて発電効率は20%アップするため、総合効率からすると300%(250%×120%=300%)の効率ガップとなる。つまり、電気自動車は通常の自動車の1/3のエネルギー消費量で済むのである」ちなみにモーターの動力変換効率は85〜90%程度である。

ここで重要なのは、文系の人の単純な数値を伴わない論理構成と、理系の数値を伴った客観的論理構成との違いに注目してほしい。数値が伴わないので、問題の定量化が十分されておらず、結果として、間違った判断になってしまっている事。文系の人は言葉の上で成立していれば、それが正しいと思ってしまうが、理系の私達は数値で定量化して比較してみるまで納得しないのだ。そして、その方が正しい。

だが、単純な論理ほど理解されやすいので、発言力は間違っている方(文系の方)が大きいのだ。そこに誤解が大規模になる要因がある。しかも、私の様に説得が下手な人間が本当のことを、そのまま言ってしまうと、反感を買ってしまい、余計に正しい意見が通らなくなってしまうのである。そういう意味でも、正しい意見だからといって巧くいく訳ではない悩みがある。

多くの人が間違ってしまっている状況の中で正しいことを一人だけ言っても、それはガリレオ状態になりやすい。だが、真実はこちら側なので、時間とともに、正しい認識は潮の満ち引きの流れの様にゆっくりと広まってゆく、誤解は潮が砂浜を洗い流す様に時間か解いてくれるのだ。

そして、文系の人もいつの間にか、正しい意見を言う様になる。自分達が間違っていた事は、その時はもう忘れているのだけれども。そういう意味で私は、「それでも地球は回っている」(実際にガリレオはそういってはなかった様だが)という言葉が好きだ。

迷信に科学が勝利した瞬間だと感じるからだ。

「迷信は言葉から生まれ、数字によって死ぬ」by skymouse

誤った認識で人が不幸になるよりも、正しい認識で人が幸福になる事が大事ならば、そいつが偉そうで嫌みな奴でも耳を傾けるべきだが、多くの人はそういう事に耐えるだけの忍耐力はない。天才の義理の父の正しすぎる意見に子供の頃から耐え抜いてきた私は、それを耐える事は出来る。だが普通の人はそういう試練を受けていないので、私の率直すぎる意見に反感を抱くだろう。私は、それすらも読める。だが、読めていたとしても、どのように言葉を選べば、真実と自尊心のバランスがとれるかは分からないので、結局は、人に受け入れられないのだ。それが理系のジレンマだ。理系は無神経なのではない、表現力が足りないのだ。

合理的に説明し、証明する事は、物事を明らかにする事である。だがそれは、露骨に意見を言う事でもある。つまり、相反する論理を満足させる言葉とは何なのかという事について考えると、論理が勝利し、感情が敗退するのが理系である。だが、それは、相手に受け入れられない言葉なのだ。それによって、チャレンジャー号が墜落した事を考えれば、感情を越える証明、ハッキリ目で見て分かる説明が一番なのだが、それは2010年の市販車の登場まで待たなければならないだろう。

車の二酸化炭素をゼロにする(電気自動車の効率がなぜ高いのか説明している)
http://d.hatena.ne.jp/skymouse/20080627/1214498908