SKY NOTE

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公平と差別の違い

努力した分を妥当に評価するのを公平だとすると、過剰、あるいは矮小に評価するのは差別となる。成果主義の問題点は、特定の成果を過剰に評価するあまり、他の評価が正当に行われず、結果として差別に相当する結果を招いてしまう事である。つまり、多様な努力の形がある筈なのに特定の努力しか認めないのは公平ではなく差別である。
 
公平でない事例としては、派遣社員の問題がそのいい例で、同じ労働ならば同賃金である筈なのに、正社員の方が2倍近く高い給料をもらっている。これは先進国の中でも日本だけであり、差別的な雇用制度といえる。要するに特権を認めてしまう事が差別である。小泉改革が問題なのは、こういう差別的雇用制度を認めてしまっている事であり、努力を正当に評価しているのではなく、新しい階級を作りだして、それを容認している点である。それが小泉改革が格差を産み出しているという根拠である。
 
悪平等を否定するのはいいが、差別を肯定してはいけない。しばしば、実力主義の名の下に公平と差別を混同している議論が見られるのは、いささか残念である。差別とは主に特権の容認であり、実力も結果もまた、その成果の妥当性から評価されるべきで、それ以上でもそれ以下でもない評価が必要である。
 
問題のある成果主義は、その評価に多様性がなく、未熟な事から来る差別的な評価を実力主義の名の下に過大に評価する事で、他の種類の努力を軽視する。例えば、サブプライムローンなどは、そのいい例で、リターンばかりを追求して、リスクを軽視したばかりに大規模な破綻を招いた。この様に成果には妥当性が必要である。その妥当性に欠けるのが差別であり、それが妥当なのが公平である。
 
妥当性を欠くと、サブプライムローンの様に不均衡を招き、いずれは破綻する。その点では悪平等と同じである。公平を追求しようとして妥当でない差別を容認すると、不必要な格差を生んで破綻。平等を追求しようとして悪平等を行なってしまうと、皆が努力をしなくなって破綻。どちらも平等と悪平等の区別、公平と差別の区別が十分に出来ないと、結果として不均衡を招き、破綻するという点で同じである。