SKY NOTE

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我慢原理主義

我慢原理主義

祖母は我慢をすることで何事も解決すると勘違いしていた。そんなことを言ったら、奴隷は何でも解決できているはずだが、実際には逆だ。何も解決しない。我慢をしていれば、それ相応に見返りがあるというのは、その我慢が正の我慢であり負の我慢ではないことが前提だ。

正の我慢と負の我慢、その違いについて考えるべき、それは、それをすることで得られる結果から考えるべきだと思う。

負の我慢の結果は悲惨だ。奴隷の我慢がこれに該当する。隷属することによって、他者を増長させ、自己を傷つける。その結果、得られるのは「不平等」。

正の我慢は努力だ。努力によって自己が高められ、結果として、それが実ることで得られるものは「成果」。

さて、祖母の我慢は何かというと、この正負の混同である。我慢原理主義者の祖母は、我慢こそが正しい結果を得られる方法として考えて譲らなかった。明らかに祖母は間違っており、分別のつかない状態にあった。

祖母の発想は奴隷の発想であり、問題が起こると、安易に他人を我慢させようとする。それによって、立場の2極化が起こり、片一方は増長し、片一方は常に立場がないという結果となる。つまり、階級を設けてしまうのだ。道理によって優劣を決める姿勢が希薄で、そういうことを「理は角が立つ」と言って否定してもいた。しかし、その理がないことこそ、不公平、不平等の根源のようなものであり、私が承服できないことであったのは言うまでもない。

私が尊敬する人物の中に、ガンジーキング牧師があるのは、そういう祖母への反感からである。そして、Macintoshが好きになったのも、当時、 MS-DOSマシンという機械に奴隷のように使われていたPCの住人をMacGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)は、奴隷解放と言わんばかりのエレガントさで、人々をPCの使いにくさから解放している点に私は感動した。私の好きな映画に十戒やスパルタカスがあるが、これも奴隷解放である。

要するに自由への渇望は私の美意識なのだ。だから、自由でない人間に、「君、頭おかしいじゃない?」と言いたくなるのだ。自分が隷属の末に行き着いた発想は、万国共通だと思っているのに、未だに隷属することが正しいと考えている「未開人」が存在することが私には到底理解できないのだ。

何の得にもならない隷属意識の塊のような価値観が存在しているだけでも、私には目障りであり、排除したいものなのだ。それは自分の過去を思いだすからにほかならない。なぜ?これほど蹂躙されて逆らわない、なぜ?これほど酷い扱いを受けて怒らない。逆らっても怒っても何にもならないと思う癖がついているのが隷属意識だ。

逆らえる日がある。それは、選挙の投票日だ。

同じ我慢をするならば、格差の生じる負の我慢よりも、皆に平等と公平をもたらす為に粘り強く戦う正の我慢をするべきだ。