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客観的現実と主観的現実

客観的現実と主観的現実

現実には二種類ある。それは数値やデータで表現できる客観的現実と、そういったもので表現できない人間の感情や意思というような主観的現実がある。現実というのは、この二種類のものが交錯していると言うべきだろう。人間社会においては主に主観的現実が重視されるが、環境問題などの科学的現実は客観的現実こそ重視するべきなのである。

客観的現実を理解するのには、スタートレックの徹底した合理主義のミスタースポックを見ると分かりやすい。主観的現実の把握には人情厚いカーク船長を挙げるのがいいだろう。スタートレックという物語の中でこの二つが混然一体(チーム)となって問題を解決する様を見るとき、真の現実主義とは、客観と主観を融合した発想に行き着く、スタートレックの中で、スポックとカーク船長はぶつかるが、互いに尊重し合う事で最大の効果をあげている。

異質な彼らが互いを尊重し合える理由は、お互いが自分に欠けている点を把握していることにあると思う。つまり、欠けていることが分かっているからこそ、互いを尊重できる。また、欠けているという自覚があるからこそ、相手の意見を全否定しない。その上で、お互いの意見をぶつけることを避けない。

欠けているからこそ相手の発言権を封じるという事はない。互いに必要だという認識があるからこそ、そういう事が出来る。私もそういう発想だから、率直に意見を言うが、相手が自分の意見を言うことを妨げることはない。そういう意味で、政府の言論に対する規制に反対するというスタンスをとってきた。

なぜ、私はそのように考える様になったのかというと、それは私の過去を説明するべきだろう。私は祖母に発言権を封じられて来た。彼女は我慢で物事を説明する人で、古い価値観を他人に押しつけ、人の自我を極端に規制していた。そんなことをされてきた私だから、私はいくら罵倒されても、相手の意見そのものを封じる様な真似はしない。

言いたいことは言わせておく、だが、反対意見はきちんと言う。黙らせることで物事を解決したかのように見せるまやかしは否定する。なぜ黙らせてはいけないのかというと、人の意見を黙らせるという事は、所詮は一方的な権利の主張に過ぎないからだ。祖母は子供の私にそういうことをしていた。

それは価値観の暴力だった。

だから、あれは言ってはいけないとか、これは言ってはいけないという前に、なぜ、それは駄目なのかとか、なぜいけないのか?とか、そういう理由を持たないで、相手を黙らせることに終止する行為は、とてもアンフェアだと思うし、それは価値観の暴力だと思うのだ。

理由を提示したうえで、その理由の正当性を巡って意見を戦わせるのならばまだしも、理由が曖昧で、ただ、いけないから駄目というのは、単なる自己の価値観の拡大解釈に過ぎず、一方的な暴力でしかない。

だから、反対意見があれば、それを言うべきだと思うし、それが出来ないのならば、なぜ、自分はそれが出来ないのか考えてみるべきだと思うのだ。そうすることで、相手をただ黙らせるのではなく、意見をぶつけることで問題を解決する姿勢が生まれると思うから。日本の村八分のように集団で無視して孤立させるのは卑怯な行為だと思う。それは相手を黙らせてばかりいた祖母と同じだ。

彼女のように人を黙らせたりすることなく、意見を言わせて、理由をもって否定する。それが本当の現実主義だと思う。

相手を無視したり黙らせたりするのではなく、むしろ、相手に言わせて、その上で互いの視点の欠けている部分を補いながら、全体を把握する姿勢が、現実主義と言えるのではないだろうか?私達も、スポックとカーク船長のようでありたいものだ。客観と主観の融合、そのためには、相手を黙らせるようなことはしない。それが本当の現実主義だと私は思う。