SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

現実的という過去

よく、「現実的になれ」と言われると、何が現実なのか把握していっているつもりの様だが、人間が感じている現実と本当の現実にはズレがある。もし、人間の現実認識が正確であったのならば、温暖化などという問題は起きない。

つまり、人間とは常に間違っているものなのである。私がこの現実的という言葉を聞くとき思うのは、「現実的」ではなくて「過去的」と言うべきだろうと思う事が多い。私の現実認識が本物の現実とシンクロしているのに対して、彼らの現実はそれよりも遅れている。社会的に見れば、私は夢想家、でも本当は現実家なのだ。

つまり、私は現実的であるからこそ、彼らの過去よりも未来の方に向いている。その未来を地に足の着いていない夢想と彼らは呼ぶが、実は、私の方が現在であって、彼らはむしろ過去の方なのだ。

彼らの言いたい現実は、お前の言いたい事は確かに現在の状況を正直に述べたものだ。「しかし」お前の言っている事を皆が認める事はない。なぜならお前はマイノリティだから。

しかし、メジャーかマイナーかと議論している間に問題は進行しているのである。本当に現実を把握している人間ならば、そんなくだらない議論はしないで、現実に対して正直に立ち向かう事を考える。もし、あなたがガンに蝕まれているとして、医師が自分のガンの診断に、それがメジャーかマイナーか延々と議論に時間を費やしていたら、バカバカしいと思うだろう。私も同感だ。

現実的とは、そういうどうでもいい議論などせず、現実に正直になり、前に進む事だと思う。周りの人間は自分の後ろについてくればいいという気概を持てばいい。でも世の中には嘘つきが多いのだ。なぜ、嘘をつくかというと、集団に帰属したいというくだらない理由だ。孤独な私から見ればなんとくだらない発想なのだと思う。

孤独であればこそ、そんな程度の事で崩れてしまう様な薄っぺらな集団ならば捨ててしまってよいと思う。捨ててよいと言うのは、本当に捨てるというよりも無視していいということだ。権威は無視されれば崩壊するものだから。皆が意識すればするほど権威というのは大きくなる。つまり、意識しなければいい。それは高いところを歩くのに似ている。下を見ると怖くなって前に進めないが、前を見れば怖くない。もちろん下を見るという事は、現実を見る事であるが、そればかりを意識していると、前に進む事が出来なくなる。進む為には、特定の現実が存在する事を認識しつつも、それを敢えて無視して前に進む意外にない事がある。ギリギリの状態の時は、まさにそうなのだ。そして、今がそのギリギリの状況なのだ。

そういう目線で言えば、集団に帰属するという発想自体が弱まれば村八分も自然に亡くなるのだ。意識すれば強くなるが、無視すれば自然に亡くなる。その程度のものに過ぎない。それよりも現実を見た方がいい。現実主義者の集団が現実に妥協する事なく前に進む、それが強い集団。現実に忠実だからこそ、強い。逆に集団に帰属する事ばかり考えて、現実を無視し続ければ、それが弱さとなる。今の日本はその弱さがある。

原因は、無制限に個人の自由を認めてしまったこと。個人の自由は無制限にはないのだ。個人という限界がある。それが個人と自我が混同されてしまった点に問題がある。際限なく自我が肥大化してしまった事で、発想に規律がなくなり、社会の限界を無視した発想を容認してしまった。どんな事を容認しているかというと、公共的な利益と私的な利益がぶつかったとき、公私混同がなされても、個人の自由の一言で正当化するなど、個人の自由ではなくて、自我の自由を認めてしまった。

際限なく権利を主張し、それにブレーキをかける価値観が弱くなってしまった事で、何でもありになってしまった。個人の自由が水戸黄門の印籠の様に使われてしまった。しかし、どうでもいい事は規制しようとする政府のやり方を支持している訳ではない。私が言いたいのは、現実を認めるという事は限界を認める事でもあるという事だ。しかし、そこに個人の自由と呼ばれる。実質的には自我の自由を認めてしまった事で、限界があるのに、それを認めなくてもいいという風潮が生まれてしまった。つまり、果てしなく自我を肥大化させた巨大な子供の集団が出来た。

つまり、おもちゃ屋でだだをこねる子供と同レベルの大人が増えてしまった。彼らの殺し文句は二言目に個人の自由。個人というからには、そこに個人の限界がある。公私混同はしてはいけない筈なのだ。しかし、彼らは個人と自我を混同しているから、この区別がないので、公共あるいは、限界というものを把握しない。

人間は限界を認めるから、規律が生まれる。これは人に言われてというよりも、むしろ、それを自ら悟る事なのである。規律から何が生まれるかというと、モラルが生まれる。それが社会に正の方向のコンセンサスが生まれる。その正のコンセンサスと、集団に帰属する為に嘘をつく発想とがぶつかったとき、どこかで正直にならなければいけないというポイントが生じる筈である。

その正のコンセンスの中で、皆が現実に正直になった時、私はこう言うとしよう。
「現実にお帰り」と。