SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

理解されて価値になる。

物事はそれが理解されて価値になる。大抵そうである。

価値が理解されないものは、石ころと同じで社会的には無価値である。厳密に言うと、理解されるというのは社会的に価値があるということだ。よく悪貨が良貨を駆逐するという話があるけれども、それは、悪貨の方が「理解されやすい」からだ。

私が時々聞く言葉で、気に入らないのは、理解されないものは無意味という主張、確かにそういったものは、社会的には無価値だが、個人的には価値があったり、または、将来価値となりうる金の卵だったりするので、私はそういう主張をしている人は将来の種を捨てたり、他人の小さな価値を否定する様にも見える。多分、社会的に無意味という意味だが、条件を限定しないところが嫌。

まるでメジャーという高所からマイナーを見下ろしている様な差別的な響きがあるから。それに悪貨が良貨を駆逐する様に悪いものを理解されやすいからといって肯定する様にも聞こえるから。とても権威主義的な響きがするので嫌いなのだ。

でも、価値があれば理解されなくていいという事ではなくて、価値のあるものは理解されるべきなのだ。そういう意味で、理解されないものは無意味という主張は正しいと思う。つまり、理解される様に努力する事の大切さを述べるのならば、それはそれでいいのだ。時々、これを勘違いした人を見かける。つまり、理解されないから、そのものの価値を全否定する人。これはマズい。社会性だけで物事を考える視野の狭さはガリレオを異端審問にかけた連中と同じだ。当時のメジャーな考え方であるキリスト教と衝突する意見を主張したとして異端審問にかけられる。でも歴史はガリレオを評価した。将来評価されるのだ。

価値の分かる人間であれば、理解されないからと言って価値そのモノを全否定する事はないだろう。なぜなら、メジャーが常にメジャーでいられる訳ではない事は歴史が証明しているのだから。

メジャーな視点だけで物事を見る人は、マイナーという小さな赤ん坊を見て、この子は歩く事も、計算する事も出来ないと言っている様なものだ。子供が大きくなって自分より大きく強くなった時の事を考える視野の広さがないと、そういう馬鹿げた事をしても恥ずかしいとは思わない。権威主義者のみすぼらしいところは、メジャーとなるものが移動したとき、彼らはホイホイと自分の意見を翻すところである。そういう時の彼らは、とてもかっこわるくてみすぼらしい。

そういう視点で見ると、まるで上から見る様な視点で「理解されないものは意味がない」という言い方をする人を私はみすぼらしいと見てしまうのだ。

社会的価値と、実質的価値は違う。実質的価値を、どれだけ理解してもらって、社会的価値にまで昇華させるかが鍵だ。だが、社会的な価値に迎合する事で、この日本という国は実利を無視して失策を続けている。

たとえ、合議(コンセンサス)で物事が動くといっても、それが実利を無視したものであれば、何の意味もない。私はそう思うからこそ、安易に迎合しない。それは意味のない事だと最初から分かっているから。

実利を無視するイメージは、チェーンの外れた自転車だ。たとえどんなに沢山の人がペダルをこいでも、何も前進しない。

だから、両方必要なのだ。合議という足と実利というチェーンが咬み合わさって、前に進む。日本人は合議にこだわり、実利を妥協するのが大人だと思っている人が多いが、それは単に集団に迎合しているだけで大人でもなんでもない。むしろ、日本が前に進まないのはそういう人のそういう判断がボトルネックになっている。

だから、昔から寄らば大樹の影と蔑むのは、実利を無視して合議を重んじる愚かさを述べているのだと思う。理性では実利を認識していながら、合議に迎合する事で、実利を捨てる。でも捨てた実利によって、結果的に失敗する。

皆で寄せ集まる為に実利を捨てるならば、何も良い結果を生まないのは道理。そういう発想のものはいずれ倒れる。倒れた先には何もない。だから無意味なのだ。集団の中に何かがあると思っているかもしれないけれど、結果を出すのには、それ相応の論理が必要だ。そういう厳然とした現実がある。

集団の中にいなかった私には、そういう甘さがない。だから、実利が見える。ある意味集団という幻想がないからこそ、現実が見える。しかし、集団に幻想を抱く人達は、現実を無視しても集団でいればいいと考えがちだ。でも、皆がなんと思うおうが、太陽は西から昇る事はないし、りんごは下から上に落ちる事はない、それが現実なのだ。

そういう幻想を持たない事が現実的と言えると思う。しかし、その幻想にお金という現実に近いものが関わってくるから、錯覚を起こす。お金を使えば、食べ物も買えるし、好きな事が出来る。極めて現実的に見える。

でも、それもまた、集団が認めた幻想に値段がついている。それがお金の正体。お金もまた幻。幻に意味を持たせるのは人間。人間の考え方次第でお金の意味も変わる。しかし、だからといって無限に人間の意思が反映されるのではない。地球という星の持っている許容量は限られている。その中で最善を尽くすとき、皆が求めるものが自然に定まる。

そして、そこに値段がつく。高い値段が、それが未来のビジネスチャンスである。