SKY NOTE

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虚構という現実

私は時々思う、世の中には虚構という現実があると、現実とは違う事を人が考える事により、間違っていく現実がある。偽りが作る現実。

例えば、天才が真実を述べていたとしても、その真実を多くの凡人は理解する事が出来ない。なぜなら、彼らは無能という虚構の中にいるからだ。ガリレオが真実を述べていたとしても、それを丁寧に説明した本を書いていたとしても、異端審問にかけられ、殺されそうになる。

ヒトラーがドイツ国民を騙し、自分の思うがままに国民を操り、最後は裏切っていく様を見ると、人はどうして虚構を見抜けないのかと思う。

虚構が生む悲劇を見るたびに、虚構にすがりつく人々の愚かさと軽率さに怒りと哀れみの混じった。よく分からない感覚に捕われる事がある。歴史を見るまでもなく、私はそういう現実をよく見ているが、多くの人々は気づかずに通り過ぎている。

なぜ人はウソを信じたがるのか、それは人が弱いからである。特に弱っている人間は偽りを信じたい。ドイツ国民は困窮の中でヒトラーのウソを「信じたかった」のだ。自分達の苦しみを汲み取ってくれるものが必要だった。しかし、そのウソを信じた為により大きな苦しみに自分達を放り込む事になるのだが...

イラク戦争で政府のウソにアメリカ人が騙されたのも、あの見え透いたパウエルの演説を見抜けない人も少なからずいたと思う。しかし、アメリカ人は「これで911のテロリストをやっつけられる」と思ったから、とにかく信じたかったのだと思う。それが90%という異常な支持率になった。

つまり、多くのウソには、その反対側に、それを「信じたい」という社会のニーズがある。扇動者は、そのニーズを汲み取ってウソをばらまく訳だ。いわゆる社会的な詐欺である。人が信じたがっているものを真実で打ち砕くと、人は酷く傷つき、反発する。しかし、その反発するものこそ、実は福音をもたらすもので真の味方なのだけれども、悪い友達に騙されてしまう。その悪い友達が「ウソ」なわけだ。

私は小泉の「郵政民営化」もウソであるとすぐに見破った。彼の「郵政民営化すれば何でも解決論」は、歴史を見てきた私にはウソの典型例だったからだ。政治家が裏付けない大言壮語を吐くときは、大抵ウソである。しかも、それは大きなものであるほど、ウソの被害が大きいが、同時にそれが社会のニーズと合致している時、大抵の国民は騙される。

私も前の選挙で、blogのコメント欄なんかで彼のウソを批判した。「あいつの主張はヒトラーに似ている」と書いた。私は常々、ヒトラーになぜドイツ国民が騙されたのか興味があったから、ヒトラーの演説手法に酷似した小泉のやり方には、非常に腹が立った。しかし、そのblogで私は、その10倍の批判にさらされる事になった。批判は筋違いで評価に値しなかったので覚えていないが、酷い言われようだったという事だけは覚えている。

人が「信じたいもの」そこにウソが入り込む隙がある。信じるべきものは根拠である。だが、根拠がしっかりしていても、人が「信じたくなければ」それは駄目なのだ。それは人参を食べない子供と同じだ。人参には栄養があっても、子供はマズいから食べない。子供の舌には人参はとても苦い、しかし、それが真実なのだ。真実には苦みがあるのだ。

であれば、嘘にだまされない為にはどうしたらいいか、見え透いたウソなんて誰でも見抜けると思う。しかし、それでも人々が嘘にだまされるのは、「信じたい」という心理が働いているからなので、その心理をひっくり返す必要がある。私は、「真実」と「信じたい」の間に橋をかける事が必要なのだと思う。ただ真実を述べるだけでなくて、信じたいという心理の裏にある人々の苦しみや辛さを汲み取って、その上で意見を言う。そういう「優しさ」が真実には必要だと思う。

つまり、「優しさ」が「虚構」に打ち勝つ手段なのだ。そういう意味でキング牧師の演説は素晴らしかった。

I have a Dream ! 」この演説の中で人種差別という虚構を彼は打ち砕いた。本来、人と人とは何ら変わらないのに、そこに根拠のない階級を設けて人を差別する。そういう虚構に、彼は優しさを持って立ち向かい勝利した。

私は真実に優しさがセットになったとき、虚構に打ち勝てるのだと思う。だから、真実だけでは真実にならず、優しさがあってこそ、真実は真実になれるのだ。ただ、現実を冷たく言うだけでは、人は動かない事が多いのだ。それが冷たければ冷たいほど、人は温かそうに見える虚構にすがりつく、だが、それはより厳しい現実に人々を突き落とす、極寒のシベリアのようなもので、向かわせてはいけない危険な場所なのだ。

小泉を支持した人が手に入れたのは、格差社会後期高齢者医療制度などの冷酷な社会システム、改革とは名ばかりで看板の架け替え程度に過ぎない郵政民営化によって、より不便になった郵便局。つまり、彼らがウソを信じて手に入れたものは、「不幸」だった。だが、真実を私がいくら言ったとて、多くの人々は冷たい現実から「逃げたかった」のだ。

その気持ちを察してキング牧師の様に意見が言えない私は、小泉のウソに勝てなかった。でも、今ならば分かるだろう。小泉のウソが、ウソの結果である現実の不幸によって、そろそろ分かってきた筈だ。彼の述べている「改革」が単なる「弱肉強食」社会の実現である事はよく分かったと思う。イラク戦争が過ちだったとアメリカ人が気づいた様に、今その、苦みを感じている人々は、選挙で、その反感をぶつけるべきだと思う。それこそが正しい事だと私は思う。偽りは、その夢から覚めたとき、必ず否定される運命にある。ヒトラーもそうだったし、ブッシュもそうだった。反動は大きいと思う。偽りから目覚めた国民は恐ろしいのだ。

虚構とは手抜き工事のされた建物と同じで、四川大地震の建物の様に、くる時がくれば崩れ落ちる運命にある。なぜなら、虚構には根拠という柱や梁がないからだ。その栄枯盛衰を最終的な帰結点として歴史観で見据える。それが真実を見据える術、最初から、その帰結点を見据えていれば、わざわざ遠回りをするようなウソを無視して、現実に立ち向かう努力をするべきなのだが、人は弱い生き物。そこを汲み取らないと、正しい助言にはならない。

私の助言は正しかったけれども、そういう意味で正しくなかった。正しさには優しさが必要なのだ。私にその優しさが足りなかったからこそ、ウソに勝てなかった。ウソは偽りの優しさとセットでやってくる。そこを見据えて立ち向かわなければいけなかった。

そういう意味で虚構という現実を打ち砕くのは、「優しさ」なのだ。でも、どんなに苦しくても、裏付けのない変な意見に騙されないでほしい。そういうウソを見抜くコツは、「騙されたらより苦しくなる」と思って自分の中にある「信じたい」という気持ちを打ち消す事だ。これが一番効果的だと思う。そして、根拠だけをみつめる。そうすれば、大抵のウソは見抜ける。