SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

天才について

自分の義理の父は、天才肌な人で、答えが見えている人だった。天才は、答えを「知っている」のではない、「見えている」のだ。凡人の私は、義父と将棋をする気にはならなかった。強すぎて勝てない事が100%分かっていたからである。予め勝敗が分かっている戦いほどつまらないものはない。天才というタイプの人間と争うと、凡人は酷く自尊心が痛む。

後に東大に入学した親戚(血はつながっていない)とオセロをした。こちらが手を考えると、相手の方が既に予測しており、最適な手を打たれる。結果はボロ負けである。私がどんなに優秀な人間を見ても、あまり驚かず余裕があるように見られるのは、「それ以上」を知っているからである。桁違いの連中を知っているから、中途半端な才能など、驚くほどのものではないのだ。ある種感覚が麻痺していると言ってもいい。

天才について言える事は、その才能以外は普通の人間なのである。ただ、彼らは答えが「見えている」ので、彼らが答えを言う時は「UFOを見た」状態になる。どういうことかと言うと、他の人間は「見えていない」から信じられないのである。私の場合は、彼らの言う事を信じる。なぜなら、外れた事がないから。経験則的に信じる訳だ。

天才の思考方法は、その様子から私は「画考」と読んでいる。つまり、言葉で考えるのではなく、映像で考えるのだ。天才は考えるというよりも見ていると言った方が正確だ。凡人が苦労して答えを考えているのに対し、相手は、それが1+1であるかのように答えを出すので、子供の頃の私は酷く自尊心が痛んだ。

天才の才能には敬意を示すべきものがあるが、その性格は評価できないと思う。自分の才能の凄さがよくわかっていないので、人の気持ちがわからず、難しい問題を「こんなの簡単」と言って、当たり前の様に解く、これが凡人にはムカつく。だから、義父は味方が少なかった。いつも酒を飲んだくれてた。(凡人の苦労が分からない天才)

それは、彼らが天才だからというよりも、才能以外の部分が凡人だからこそ、そうなる。自分が正しい答えを知っているのだから、自分の意見が通っていい筈だと普通に思ってしまう。確かに正しい。だが、他人が苦労して出した答えをゴミ扱いしてはいけない。確かにゴミなのだ。しかし、ゴミ扱いしてはいけない。それは、子供が一生懸命作ったものを大人が馬鹿にしてはいけないのと同じである。人間には自尊心があるという事を彼らは理解していない。自分の才能の凄さに対する自覚がない為、そういう他人との差が理解できず、不興を招く、つまり、自分の才能によって、相手と自分が子供と大人と同じ関係になってしまっている事を認識できず、同じ大人として意見を言ってしまうので、仲間が出来ない。

義父を見ていて、凡人の私は、そう思った。私は義父に言った「正しいからといって人の心をズタボロにしていいとは限らない」と。つまり、天才が最低の性格だと言われる所以は、自己の才能に対する自覚のなさが、相手に対する思いやりのなさになって現れるからである。

そして、もっと言うと、彼らは答えがハッキリと「見えている」ので、自分が見えているものが他人が見えない事が理解できない。もし、私達が、自分の目の前にハッキリと見えているものが他人が見えないと言い出したら、どうして、これが見えないのか?と言うだろう。それと同じなのだ。

凡人がそういう事を言われたら、酷く馬鹿にされたと思って、あいつは最低だと思うだろう。でも、実は違うのだ。彼らにはハッキリ見えているだけなのだ。自分が見えているものを他人が見えていない事に気がつかない。自分と他人との違いが分からない哀れな人達なのだ。

そうやって、他人との接点が巧く構築できないので、結果として彼らの味方は「答え」だけになる。それが災いとなる。答えにこだわってはいけないのだ。それをやればやるほど、凡人の自尊心が傷つき、社会的に抹殺されるだけなのだ。

義父は、類い希なる才能を持ちながら、その才能を生かす事なく生涯を閉じた。社会はそうやって天才の才能を空費していくのである。もったいないと思うが、義父ももう少し、相手(凡人)に思いやりを持てば成功できたのに...と思う。