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形式主義者について

形式主義者について

官僚の問題が世の中をにぎわしているので、彼らの思想である形式主義について述べたい。

私が形式主義者について述べるとするならば、彼らはある種の芸術家なのだと思います。ある一つの形にとてもこだわり、他のものを認めない姿勢は、まさしく芸術家です。ただし、芸術は芸術でも迷惑な芸術ですが...

形に非常にこだわる姿勢から、彼らを芸術家の中でも彫刻家です。彼らは一つの形をとても崇拝し、そのためには他のものを削ります。削ることで自分の形を作りだすわけです。恐らく彼らの目には他人の意見は、自分の「形」を乱す削りカス程度にしか映っていないのでしょう。

しかし、彼らが分かっていないのは、世の中には沢山の「形」があり、それぞれに価値があることです。それらをきちんとした理由で取捨選択することこそ、真に美しいと言えるのです。

彼らの感性は、ただのワガママなので、他人にとっては迷惑になってしまう。普通のワガママと違うのは、形式というのは、正当性があり、直接批判する事が出来ない。ただ、実質と比較する事で、彼らの主張がワガママという事になるのだが、彼らが形式主義者と呼ばれる所以は、実質よりも形式を優先する姿勢にある。

つまり、相手の意見を削りカス程度にしか見ないのは考えもの。実利を無視するのは、形式に余計な美学を感じている。私が形式を否定するのは、それが空虚であると、歴史が教えているからだ。彼らは特に無駄に対する感性が鈍い。

ある意味、その無駄の為に一生懸命頑張る為、社会のリソースを食いつぶす。要するに無駄の芸術家な訳だ。彼らの行動パターンの背後には、権威がある。上下関係を意識するあまり、上と衝突する様な事をしたくない。つまり、従来の形を死守しようとする。つまり、責任を追求されない立場にいる人間が形式主義者になる訳だ。

上下があろうとも、責任が追及されれば、自分が危うい。そういう状況に置かれれば、上(形式)よりも実利を優先する事になるだろう。形に対する美学というのは、それが権威と結びついているからである。つまり、形式主義とは、権威主義の亜種の様なものなのだ。

実利が形式に敗れるのは、形式と権威が結びつき、実利に力(発言力)で上回るからである。日本の官僚に形式主義がはびこるのは、法律が官僚のセクショナリズムに対して相対的に弱いからだ。なぜ、弱くなってしまったのかというと、政治家が官僚が作った法律をきちんとチェックせずに、そのまま通してしまったから。それは、犯罪者に刑法を作らせる様なものである。という訳で、横領が合法的にできる道路予算が生まれた。

つまり、法律をきちんと作らない政治家が問題の温床なのだ。そして、作られた後、問題のある法律を放置し、改善しなかった事も重大な責任だ。そして、言いにくい事だが、そういう事をしている政党を長い間、野放しにした国民の責任も大きいし、また、そういうことがあると、きちんと伝えなかったジャーナリズムにも責任がある。

過去の権威の失墜が、結果的に形式主義の崩壊を招く、そういう意味で、次の選挙では、その過去を潰す事が大事だ。そうでなければ、私達は無責任という事になる。実利を形式に勝たせるには、形式と結びついている権威を失墜させる事が大事なのだ。意味のない形式が力を持てるのは、その背後に権威が生じているから。だから、過去の権威の崩壊こそ、最も形式主義に打撃を与えるものなのだ。