SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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目先の事しか考えない今の日本

あらゆる不祥事を見ると、とても短期的な利益のためにくだらない事をしていると思うことが多々ある。どうして、目先の事しか考えない事を大人だと勘違いする人がこれ程までに増えてしまったのだろうと、最近よく思うのだ。私から見れば、目先の事しか考えない視野の狭い人間こそ子供じみているし、歴史もそういっている。ではなぜ、間違った考え方がこれほどまでに広まってしまったのか?

それは合理ではない力が働いているとしか言い様がない。言ってみれば過った考え方が標準化されてしまったというのが私の考えだ。アメリカ型経営を採用して、それがグローバルスタンダードとして「標準化」され、それに反旗を翻すものは、村八分にされるような状況が生まれてしまったことが問題だと私は思っている。つまり、アメリカから輸入された過った未熟な発想が、権威となって日本に影響したのだと考えているのだ。

私は長期的な展望を主張することを青臭いと言ってしまう人が結構いることから、今の時代は長期的な発想は未熟な青臭い主張なのだろうと考えた。私から見れば逆なのだが...目先の事にこだわればこだわるほど、犯罪に近くなる事が理解できていないようだ。船場吉兆などを見れば分かるけど、目先の売上を延ばすためにやりたい放題やっていた。ブランド戦略から言って、長期的にはやるべきでない。長い目で見れば、ばれる可能性が高く、その際には倒産の危険を犯す愚行である。しかし、短い目で見れば利益の上がる合理的な方法である。このように短期的思想は極めれば極めるほど犯罪に近くなることから、昔から商売は長い目で行えと言われてきた。それに反することこそ実は未熟であり、青臭いのだ。

では、なぜそんな「青臭い発想」が「大人の発想」になってしまたのか、私は権威主義がそこにあるように思える。権威を重視する人々にとって合理は関係ない、故に権威に従うものが上(大人)であり、従わないものは下(青臭いことを言う子供)と考える人々にとって、アメリカ型短期指向型経営モデルに異を称えることは下(青臭い未熟な人間)になる事を意味する。アメリカ型経営モデル採用したソニーが凋落し、採用しなかったトヨタが飛ぶ鳥を落とす勢いで成長した証拠が突き付けられても、合理を無視する権威主義の前では意味を成さない。権威主義にとって客観的事実よりも権威の優劣が重要なのだから、合理的な証拠は意味をなさないのだ。

そこで彼ら権威主義者に影響を与えそうな意見とは、権威のある人の主張を持ってくることだろうと思う。結果という客観的な証拠を突き付けても分からないのならば、彼らが好きな権威で否定してみようというわけだ。そこで、経済学の権威であるピータードラッガー博士も私のように長期的経営思想こそ企業にとって重要であると言っていたと言えば彼らは耳を傾けるだろうか?

客観的事実と権威の両方から全く意味を成さないアメリカ型経営のまずさを主張しても、恐らくまだ彼らは理解しないだろう。日本凋落の原因はアメリカ型経営という毒を飲んだことなのだ。日本の過去の経営が失敗した理由はアメリカ型経営モデルを採用しなかったからではなく、IT化とそれに伴う組織変更が遅れたためだ。日本型経営モデルとIT化を融合した例として、DELLコンピューターを挙げることが出来る。DELLはアメリカ屈指のコンピュータメーカーである。その企業モデルにトヨタの経営モデルが採用され、それを電子化したものがDELLの経営形態である。つまり、DELLのような大企業が日本型経営モデルで成長したことから分かるように、日本型経営モデルは、かの地、アメリカでも優れた結果を出しているのであり、その実績から決して劣っていないと断言できるのだ。アメリカ型経営モデルを採用したソニーが凋落したことから分かるとおり、アメリカ型経営モデルこそ、劣っていると現実が証明している。

つまり、今、日本に広まっている考え方、つまり、アメリカ型経営モデルから派生した短期指向こそ未熟な子供じみた発想であり、青臭い事なのだ。この実力(実績)のない権威を否定することこそ、今の日本が復活するために必要なことである。「権威とは実力あってのもの」だから、実力も実績もないアメリカ型経営をありがたがる理由は微塵もないのだ。短期経営モデルは、突き詰めれば船場吉兆のような企業を目指すことである。

権威に逆らう勇気は、その権威が実は権威ではないことを証明することが大切だ。既に結果が証明していることからも分かるとおり、実力のないものに権威を与える必要はない。アメリカ型経営を権威として主張する人がいたら、ソニートヨタなどの証拠を突き付けて、「アメリカ型経営を採用したソニーはどうしたのかな?」とか「でも日本型経営をしてきたトヨタは世界一の自動車メーカーだけど、それが何か?」とか言ってやればいい。

そうすることで、実力のない権威を失墜させ、正しい考え方を広めるべきなのである。そうすれば、目先の事しか考えない事が恥ずかしくなるような正常な社会に戻るだろう。権威主義と対峙するときに重要なのは、こちらが上だという事を堅持する事が大切の様に思える。つまり、合理というよりも態度で私が上だと主張する事が大切。(犬が家の中で序列を定めるのと同じ:財政という実権を握っているお母さんに従い、尻に敷かれているお父さんには従わない犬みたいなところが権威主義者にはある。そこで私がお前より上だという自信の様なものが彼らには効果的かもしれないと思う。発想が原始的だけにそういう事かもしれないと最近思う様になった。彼らには合理よりも態度が重要かもしれない。態度は一切怯まず毅然とし、そこに合理で畳み掛ける。態度による正当化と合理による説明のコンボが彼らには必要なのだ。権威がこちらにあると主張する事が権威主義者には効果的)