SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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考えるという事

自分は、考えるという事は、感性を働かせる事だと思っている。大昔、単純な神経細胞が進化して脳に発達した様に、脳の起源は神経、つまり、感性なのだ。頭の中でイメージして、それを追体験する事で、それを実行する事なく、最適な答えを探し出す。それが思考なのだ。

感性の鈍い人間は、思考も鈍いと考えてもいいのではないかと思う。天才とかいう連中は、特定の感性は尖っているが、凡人に対する感性は全然だめな事が多い。なぜなら、彼らの体験には「無能」が存在しないからだ。

感性がない人間は状況を正確にシミュレートできず、間違った想定の元で行動する為、過ちを犯す。失敗とは、正確なシミュレートが出来なかったという意味でもあると思う。

ある意味、色々な方面に感性を働かせ、そこにバランスよく判断できる人間が本当の意味で賢い人間なのだと思う。局所的に賢い人間は助けが必要な事が多い。天才だったら、その偉業を理解する秀才の助力がないといけないのだ。

傲慢がいけないのは、自分を正しいと思い込む事によって、感性が麻痺し、それが思考停止を招くからである。集団心理にも同様の傾向がある。皆が同じ事をしていれば正しいと考えるのもまた傲慢の内に入る。例えば、火が近づいているのに部屋の中で誰も逃げなければ、大丈夫だと思ってしまうが、実際には皆がそう思う事によって、何も感性が働いておらず、思考停止を招いているだけなのだ。

日本社会にはそういう同調型思考停止がよく見られる。極めて危険な事だ。だが、それをただ咎めても何の解決にもならない。なぜなら、彼らはそれ以外の発想をもっていないと思われるからだ。集団から外れる事を極端に恐れており、それ故に思考能力があっても、その恐怖が感性を麻痺させる。個別ではとても賢い人間も集団の中に入ると間違った判断に同調してしまう。そういう点で日本社会は理性が働かない事がある。私はそれを真に恐れるべき者を恐れていないという点で無謀だと思う。そういう事についていつも私が思い起こすのが、ネズミの大群が海を泳ぎ、ある海域で皆が溺れるという奇妙な現象である。そこには昔アトランティス大陸があったのではないかという話が残っている。

ネズミ達は本能の赴くまま、皆で海を泳ぐが、最後に行き着く場所は死である。つまり、「赤信号、皆で渡ったら余計に危険だよ」「ダンプカーが来たら皆で死ぬから」集団が強いのは権力で何とかなる場合であるが、権力も間違っていれば、死が待っている。歴史の中で権力を持っていても、判断を誤る事で一瞬にして権力の座を追われた指導者のなんと多い事か。

権力は「西からお日様を上らせる事は出来ない」故に、必ずしも同調していれば安心とはいえないから、私は孤立しても平気だし、自由に意見を言える。その方が楽なのだ。日本は平和で安定した国なので、孤立しても恐ろしくはない。孤立しても死ぬ事はないが、判断を誤れば死ぬ事がある。そこが私が孤立してでも大丈夫な理由、真に恐れるべきものを恐れる姿勢が、私にそうさせる。

大げさというかもしれないが、H5N1型ウィルスや地球環境問題とは、そういう種類の問題だ。H5N1型は短期的にヤバいし、地球環境問題は長期的にヤバい。地球環境問題は、解決が困難であるが、解決は不可能ではない種類の問題だ。危機意識の共有が鍵となる。

きちんと恐れるモノを把握すれば、人は危機を回避できる。その為には人間は考える必要がある。それはつまり、隣の人ばかり見ていないで、本物の現実を把握する(感じる)という事なのだ。