SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

Pref..
Speech
STOP
Follow..
QR Code
|◀
▶|
QR
×
voice
volume
0
rate
0
pitch
0

あさっての正義

世の中には自己満足を正義にする人たちがいる。でも、彼らの言う通りにしてよかった事など歴史上にどこにもない。観念的な正義は、多くの場合、弱者への虐待につながる。なぜ、正義が悪になるのか、禁酒法を例にして述べよう。

アル中で家庭が崩壊したり、酒で身を滅ぼす人間がいるから、酒を全部禁止した。正義はそこで行われた筈だった。しかし、現実はアルカポネの様な裏社会の人間に利益を与えるだけに終わった。むしろ、マフィアに資金が渡る事で治安は悪くなった。だから、禁酒法は長続きしなかった。

裏社会に利益を与え、繁栄させる事で、逆に弱者を痛めつけてしまったからだ。強権を振りかざす程、それに溢れた欲望が彼らの利益になるのである。そして、それらが暴れ回る事で弱者が苦しむ。偽善者は、そういう悪人に利益を与え、暴力に加担してしまう。以前に儒教が曲解されて女性や子供など弱い立場の人間が苦しむという事を書いたが、それと同じ構図が浮かび上がる。奇麗事が生み出す矛盾が悪人という野獣のエサとなり、それが暴れ回って周りのものが迷惑をする。

本当にアルコールの被害を減らすにはアルコールそのものを禁止するよりも、その背後にある問題を解決せねばならない。つまり、失業とか貧困だ。あるいは、人間関係など。アルコールに依存する理由をつき止めて解決しない限り、問題は解決しない。つまり、問題は何も解決していない事。本質的な問題から目を背けて、表面的に繕っても、結果はマイナスになるだけ。特に問題を起こしていない対象を規制するなどもってのほか。そういう善意を私は、あさっての方向の正義と呼ぶ。