SKY NOTE

skymouseが思った事考えた事を記したもの

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観念をルールに混ぜると悪になる

世の中には己の観念をルールに混ぜる人たちがいる。そういう人たちが作ったルールは大抵、多くの人に迷惑をかける。観念と現実は別だからだ。現実を無視したルールは、迷惑となって人を苦しめる。彼らのルールは、観念なので現実の限界を無視して暴走する。
 
例えば、映像コンテンツに性器を写すなというルールを作った人たちが秩序を生み出しているかというと、それは駄目なのだ。エロは人間の本能であるという現実を無視している。結果として、このルールは裏市場を営む人たちに利益を与えているだけで、基本的に秩序をもたらしてはいない。むしろ、正当な対価を得るであろう人たちから利益を奪っている。そういう意味では、このルールは禁酒法に似ている。(人間の基本的な欲望を否定しても無駄という事だ)
 
彼らについて私が思うのは、秩序を生み出そうとして、逆の結果を招いていること。かえって秩序を乱しているのは彼らの方なのだ。その偽りに気づかないのが度し難いと言える。己を善人だと標榜するが、実は悪人であるという事に気づかないといけない。
 
特に恵まれていて、世の中の理不尽というものを知らない人がそういう事を考えやすい。奇麗事を言えるのも、自分に都合のいい世界しか見た事が無いので、そうなるのである。たとえ見ていても見て見ぬ振りをするのが彼らなのだ。
 
人の綺麗なところ、汚いところ、両方を見て、その中で皆が幸せになる形を選ぶ。
  
「濁れるがごとし」それが世の中全体を見据える時に必要な事である。全体最適化には、こういう発想が無いといけない。それがないと、弊害の方が大きくなる。人間の持っている基本的な欲望は、必ずしも綺麗なものとは限らない。それが人間のありのままの姿なのだ。それを否定すると、大抵は抜け道を探し出す。そして、その抜け道が暴走する事でかえって秩序が乱れる。そこで、適当なところで折り合いを付けて、ある程度濁ったものでも認める。だがしかし、濁ったままにもしないという様な中庸の発想が大事になってくる。日本の文化庁には、この中庸の発想が欠けている。  
奇麗事を暴走させる事で、無秩序を助長し、それを抑える為にルールを拡張する。官僚というのはルールを増やせば増やす程、自分が偉くなった様な気でいる生き物で、そういう化け物は、政治家が退治しないといけないのだが、一つの政党による政権が継続しすぎたこの国ではそういうコントロールが利かない。そうやってルールが増え過ぎると、社会の活力が失われてしまうので、定期的に政権交代をして、奇麗事を言う社会の膿(偽善者)を取り出さなければいけないのだ。
 
ドブさらいをしないと、水路の水が滞る様に、偽善者が作る意味の無い迷惑なだけなルールも、泥をすくうがごとく、消すのが良い。奇麗事を言えば、本人は気持ちよいだろうが、周りは迷惑千万である。社会にとってはなにもメリットが無い。むしろ、損の方が大きいので、切り捨てるのが妥当なのだ。そうする事で皆が得をする。誰も損はしない。あるとすれば、偽善者のメンツが潰れる事くらいで、それは、他人に迷惑をかけた対価としては少ない。むしろ、その程度で済むくらいだったら、ありがたいと思うべきだと思う。